たのか一向判りません。それですから近所でまあ、いろいろのことを云うんですが……」と、家主の胸にも歌女代の亡霊を描いているらしかった。
「蚊帳のなかを見ても宜しゅうございますか」
「どうぞお検《あらた》めください」
半七の身分を知っている家主は異議なく承知した。半七は起って次の間へゆくと、ここは横六畳で、隅の壁添いに三尺の置床《おきとこ》があって、帝釈《たいしゃく》様の古びた軸がかかっていた。蚊帳は六畳いっぱいに吊られていて、きのう今日はまだ残暑が強いせいであろう。歌女寿は蒲団の上に寝蓙《ねござ》を敷いて、うすい掻巻《かいまき》は裾の方に押しやられてあった。南向きに寝ている彼女は枕を横にはずして、蒲団から少し乗り出したようになって仰向けに横たわっていたが、その結び髪は掻きむしられたようにおどろに乱れて、額をしかめて、唇をゆがめて、白ちゃけた舌を吐いて、最期の苦悶の痕がその死に顔にありありと刻まれていた。寝衣《ねまき》は半分引きめくったように、肩から胸のあたりまで露出《あらわ》になって、男かと思われるような小さい乳房が薄赤く見えた。
「蛇はどうしました」と、源次もあとから来てそっと覗いた
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