少しおびえたように眼を据えてささやいた。
「お化け師匠は蛇に巻き殺されたんで……」
「蛇に巻き殺された」と半七も驚かされた。
「女中のお村というのが今朝《けさ》になって見つけ出したんですが、師匠は黒い蛇に頸を絞められて蚊帳《かや》のなかに死んでいたんです。不思議じゃありませんか。人の執念はおそろしいもんだと、近所の者もみんなふるえていますよ」
源次も薄気味悪そうに云った。悲惨な死を遂げた歌女代の魂が黒い蛇に乗り憑《うつ》って邪慳な養母を絞め殺したのかと思われて、半七もぞっ[#「ぞっ」に傍点]とした。お化け師匠が蛇に巻き殺された――どう考えてもそれは戦慄すべき出来事であった。
二
「まあ、なにしろ行ってみようじゃあねえか」
半七は先に立って横町へはいると、源次もなんだか落ち着かないような顔をして後から付いて来た。歌女寿の家の前にはだんだんに人立ちが多くなっていた。
「ちょうど若い師匠の一周忌ですからね」
「きっとこんなことになるだろうと思っていましたよ。恐ろしいもんですね」
どの人も恐怖に満ちたような眼をかがやかして、ひそひそと囁き合っていた。そのなかを掻き分けて、半七は源次と裏口から師匠の家へはいると、雨戸もまだすっかり明け放してないので、家のなかは薄暗かった。蚊帳《かや》もそのままに吊ってあって、次の間の四畳半には家主《いえぬし》と下女のお村が息を嚥《の》むように黙って坐っていた。半七は家主の顔を見識っているので、すぐに声をかけた。
「お家主さん。どうも飛んだことが出来ましたね」
「ああ、神田の親分でしたか。店中《たなうち》に飛んでもないことが出来《しゅったい》しまして……。番太郎に云い付けて早速お届けはして置きましたが、まだ御検視が下りないので、うっかり手を着けることもできません。近所ではいろいろのことを云っているようですが、死に様もあろうに、蛇に巻き殺されたなんて一体どうしたもんでしょうか。なにしろ困ったことが出来ましたよ」と、家主もその処置に困っているらしかった。
「ここらはふだんから蛇の出るところですか」と、半七は訊いた。
「御承知の通り、こんなに人家が建て込んでいるところですから、蛇も蛙も滅多に出るようなことはありません。おまけにここの家は庭といったところで四坪ばかりで、蛇なんぞ棲《す》んでいそうな筈はありませんし、どこから這入って来たのか一向判りません。それですから近所でまあ、いろいろのことを云うんですが……」と、家主の胸にも歌女代の亡霊を描いているらしかった。
「蚊帳のなかを見ても宜しゅうございますか」
「どうぞお検《あらた》めください」
半七の身分を知っている家主は異議なく承知した。半七は起って次の間へゆくと、ここは横六畳で、隅の壁添いに三尺の置床《おきとこ》があって、帝釈《たいしゃく》様の古びた軸がかかっていた。蚊帳は六畳いっぱいに吊られていて、きのう今日はまだ残暑が強いせいであろう。歌女寿は蒲団の上に寝蓙《ねござ》を敷いて、うすい掻巻《かいまき》は裾の方に押しやられてあった。南向きに寝ている彼女は枕を横にはずして、蒲団から少し乗り出したようになって仰向けに横たわっていたが、その結び髪は掻きむしられたようにおどろに乱れて、額をしかめて、唇をゆがめて、白ちゃけた舌を吐いて、最期の苦悶の痕がその死に顔にありありと刻まれていた。寝衣《ねまき》は半分引きめくったように、肩から胸のあたりまで露出《あらわ》になって、男かと思われるような小さい乳房が薄赤く見えた。
「蛇はどうしました」と、源次もあとから来てそっと覗いた。
半七は蚊帳をまくってはいった。
「薄暗くっていけねえ。庭の雨戸を一枚あけてくれ」と、半七は云った。
源次が起って南向きの雨戸をあけると、もう六ツ(午前六時)すぎの朝の光りは、庭から一度にさっと流れ込んで、まだ新しい蚊帳の波をまっさおに照らした、死んだ女の顔はいよいよ蒼く映って物凄くみえた。その蒼ざめた腮《あご》の下に黒くなめらかに光る鱗《うろこ》のようなものが見えたので、蚊帳の外から気味悪そうに覗いていた源次は、思わず顔をあとへ引いた。
半七は少しかがんでよく視ると、黒い蛇は余り大きくなかった。ようよう一尺ぐらいのものらしく、その尾は女の頸筋にゆるく巻きついて、その扁平《ひらた》い首は蒲団の上に死んだようにぐたりと垂れていた。生きているのかしらと、半七は指のさきで軽くその頭を弾《はじ》いてみると、蛇はぬう[#「ぬう」に傍点]と鎌首を長くあげた。それを見て少しかんがえていた半七は、ふところから鼻紙の畳んだのを出して、その頭を又軽く押えると、蛇は物に恐れるように首をすくませて、蒲団の上へおとなしく首を垂れてしまった。
蚊帳をぬけ出して来て、半七は縁先の手水鉢で手を洗って、もとの
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