四畳半へ戻った。
「判りましたか」と、家主は待ち兼ねたように訊いた。
「さあ、まだ何とも申されませんね。いずれ御検視が見えたらば又お係りのお考えもありましょう。わたくしは一と先ずこれでお暇《いとま》いたします」
 取り留めた返事を受け取らないで少し失望したらしい家主の顔をあとに残して、半七は早々にここを出ると、源次もつづいて表へ出た。
「親分。どうでした」
「あの女中はまだ若いようだな。十七八か」と、半七はだしぬけに訊いた。
「十七だということです。だが、あいつが真逆《まさか》やったんじゃあありますまい」
「むむ」と、半七は考えていた。「だが、なんとも云えねえ。おめえだから云って聞かせるが、師匠は蛇が殺したんじゃあねえ。人間が絞め殺して置いて、あとから蛇を巻きつけたに相違ねえ。お前もそのつもりで、あの女中は勿論のこと、ほかの出入りの者にもよく気をつけろ」
「じゃあ、死んだ者の執念じゃありませんかね」と、源次はまだ疑うような眼をしていた。
「死んだ者の執念もかかっているか知れねえが、生きた者の執念もかかっているに相違ねえ。おれはこれからちっと心当りを突いて来るから、おめえも如才なくやってくれ。そこで、どうだろう。あの師匠はちっとは金を持っていたらしいか」
「あの慾張りですからね。小金を溜めていたでしょうよ」
「情夫《おとこ》でもあった様子はねえか」
「この頃は慾一方のようでしたね」
「そうか。じゃあ、なにしろ頼むよ」
 云いかけてふと見かえると、家の前に立ってこわごわと覗いている大勢の群れから少し離れて、一人の若い男がこっちの話に聴き耳を立てているらしく、時々に偸《ぬす》むような眼をして二人の顔色を窺っているのが半七の眼についた。
「おい、あの男はなんだ。おめえ知らねえか」と、半七は小声で源次に訊いた。
「あれは町内の経師職《きょうじや》の伜で、弥三郎というんです」
「師匠の家へ出這入りすることはねえか」
「去年までは毎晩稽古に行っていたんですが、若い師匠が死んでからちっとも足踏みをしねえようです。あいつばかりじゃあねえ。若い師匠がいなくなってから、大抵の男の弟子はみんな散ってしまったようですよ。現金なもんですね」
「師匠の寺はどこだ」
「広徳寺前の妙信寺です。去年の送葬《とむれえ》のときに私も町内の附き合いで行ってやったから、よく知っています」
「むむ、妙信寺か」
 源次に別れて、半七は御成道《おなりみち》の大通りへ一旦出て行ったが、また何か思いついて、急に引っ返して広徳寺前へ足をむけた。土用が明けてまだ間もない秋の朝日はきらきらと大溝《おおどぶ》の水に映って、大きい麦藁とんぼが半七の鼻さきを掠《かす》めて低い練塀のなかへ流れるようについと飛び込んだ。その練塀の寺が妙信寺であった。
 門をくぐると左側に花屋があった。盆前で参詣が多いとみえて、花屋の小さい店先には足も踏み立てられないほどに樒《しきみ》の葉が青く積まれてあった。
「もし、今日《こんにち》は」
 店口から声をかけると、樒に埋まっているようなお婆さんが屈《かが》んだ腰を伸ばして、眼をしょぼしょぼさせながら振り向いた。
「おや、いらっしゃい。御参詣でございますか。当年は残暑がきびしいので困ります」
「その樒を少し下さい。あの、踊りの師匠の歌女代さんのお墓はどこですね」
 要《い》りもしない花を買って、半七は歌女代の墓のありかを教えて貰った。そうして、その墓には始終お詣りがあるかと訊いた。
「そうでございますね。最初の頃はお弟子さんがちょいちょい見えましたけれど、この頃ではあんまり御参詣もないようです。毎月御命日に欠かさず拝みにお出でなさるのは、あの経師職の息子さんばかりで……」
「経師職の息子さんは毎月来るかね」
「はい、お若いのに御奇特なお方で……。きのうもお詣りに見えました」
 手桶に水と樒とを入れて、半七は墓場へ行った。墓は先祖代々の小さい石塔で、日蓮宗の歌女代は火葬でここに埋められているのであった。隣りの古い墓とのあいだには大きい楓が枝をかざして、秋の蝉が枯れ枯れに鳴いていた。墓のまえの花立てには、経師職の息子が涙を振りかけたらしい桔梗と女郎花《おみなえし》とが新しく生けてあった。半七も花と水を供えて拝んだ。拝んでいるうちに何かがさがさという音がひびいたので、思わず背後《うしろ》をみかえると、小さい蛇が何か追うように秋草の間をちょろちょろと走って行った。
「こいつを持って行ったかな」と、半七は少し迷ったように蛇のゆくえを見つめていたが、「いや、そうじゃあるまい」と、又すぐ打ち消した。
 もとの花屋へ帰って来て、死んだ師匠は生きているうち、墓まいりに時々来たことがあるかと、半七はお婆さんに訊いた。歌女代は若いに似合わない奇特な人で、墓まいりにはたびたび来た。たまに
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