も、好い顔をしねえ。あんまり不実だとか薄情だとか云うんで、手前は師匠とやきもち喧嘩をしたろう。それがもとでとうとう師匠を殺す気になって、ここにいる御符売りの箱から蛇を一匹盗んで、狂言の種に遣ったろう。手前もなかなか芝居気がある。お化け師匠と札付きになっているのに付け込んで、師匠をそっと絞め殺して、その蛇を死骸の頸へまき付けて置いて、娘の執念だとか祟りだとか、飛んだ林屋正蔵の怪談で巧く世間を誤魔化そうとしたんだろう。それで世の中が無事息災で通って行かれりゃあ、闇夜にぶら[#「ぶら」に傍点]提灯は要らねえ理窟だが、どうもそうばかりは行かねえ。さあ、恐れ入って真っ直ぐになんでも吐き出してしまえ。ええ、おちついているな。脂《やに》を嘗《な》めさせられた蛇のように往生ぎわが悪いと、もう御慈悲をかけちゃあいられねえ。さあ申し立てろ。江戸じゅうの黄蘗《きはだ》を一度にしゃぶらせられた訳ではあるめえし、口の利かれねえ筈はねえ。飯を食う時のように大きい口をあいて云え。野郎、わかったか。悪く片付けていやあがると引っぱたくぞ」
「今と違って、むかしの番屋の調べはみんなこんな調子でしたよ」と、半七老人は云った。
「町奉行は格別、番屋で調べるときには、岡っ引や手先ばかりでなく、八丁堀のお役人衆もみんなこの息で頭からぽんぽん退治《やっ》つけるんです。芝居や講釈のようなもんじゃあありませんよ。ぐずぐずしていると、まったく引っぱたくんですよ」
「それで其の男は白伏したんですか」と、わたしは訊いた。
「煙《けむ》にまかれて、みんなべらべら申し立てましたよ。そいつは元は上野の山内《さんない》の坊主で、歌女寿よりも年下なんですけれども、女に巧くまるめ込まれて、とうとう寺を開いてしまって、十年ほど前から甲州の方へ行って還俗《げんぞく》していたんですが、故郷忘じ難しで江戸が恋しくなって、今度久し振りで出て来て、早速歌女寿のところへ訪ねて行くと、女は薄情だから見向きもしない。おまけで経師職の生若《なまわけ》え伜なんぞを引っ張って来たのを見たもんだから、坊主はむやみに口惜《くや》しくなって、なんとかして意趣返しをしてやろうと、そこらの安宿を転《ころ》げあるきながら、足かけ二カ月越しも付け狙っているうちに、歌女寿の娘が去年死んで、それからお化け師匠の評判が立っているのを聞き込んで、根が坊主だけに、死霊の祟りなん
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