けていた。
「いっそおれは浪人する」と、高島は云い出した。彼のうしろにはお吉という女の影が付きまつわっていた。国へ追い返されると、もう彼女に逢えないというのを高島は恐れていた。しかし高島ほど根強い理由をもっていない梶井は、国へ返されるのを恐れながらも、さすがに思い切って浪人する気にもなれなかった。かれは独身者《ひとりもの》の高島と違って、故郷に母や兄や妹をもっていた。
「まあ、そんな短気を出すな」と、彼は高島をなだめていた。しかし今年の春になってから、高島はいよいよその決心を固めたらしく、毎朝屋敷を出るときに、自分の大事の手道具などを少しずつ抱え出して、お吉のもとへそっと運び込んでいるらしかった。そのうちに湯屋の亭主もだんだんに眼をつけ始めた。ここの亭主は岡っ引の手先であるということをお吉もささやいた。この際つまらない疑いなどを受けてはいよいよ面倒と思った彼は、もう落ち着いていられないような心持になって、女と相談してどこへか一緒に姿を隠したらしく、ゆうべは屋敷へ戻って来ないので、梶井も心配して今朝ここへ探しに来たのであった。
かたき討の理由も、駈落ちの理由も、それですっかり判った。そ
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