丁度こっちに子供が無いから引き取って自分の子にしたいと……。わたくしも手放すのは忌《いや》でしたけれども、向うへ引き取られれば立派な店の跡取りにもなれる。つまり本人の出世にもなることだと思いまして、産れると間もなく和泉屋の方へ渡してしまいました。で、こういう親があると知れては、世間の手前もあり、当人の為にもならないというので、わたくしは相当の手当てを貰いまして、伜とは一生縁切りという約束をいたしました。それから下谷の方へ引っ越しまして、こんにちまで相変らずこの商売をいたして居りますが、やっぱり親子の人情で、一日でも生みの子のことを忘れたことはございません。伜がだんだん大きくなって立派な若旦那になったという噂を聴いて、わたくしも蔭ながら喜んで居りますと、飛んでもない今度の騒ぎで……。わたくしはもう気でも違いそうに……」
文字清は畳に食いつくようにして、声を立てて泣き出した。
二
「へええ。そんな内情《いきさつ》があるんですかい。わたしはちっとも知らなかった」と、半七は喫《の》みかけていた煙管《きせる》をぽんと叩いた。「それにしても、若旦那の死んだのは不時の災難で、誰を怨む
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