半七捕物帳
勘平の死
岡本綺堂
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)門松《かどまつ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)安政|午《うま》年の十二月
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)のんびり[#「のんびり」に傍点]した
−−
一
歴史小説の老大家T先生を赤坂のお宅に訪問して、江戸のむかしのお話をいろいろ伺ったので、わたしは又かの半七老人にも逢いたくなった。T先生のお宅を出たのは午後三時頃で、赤坂の大通りでは仕事師が家々のまえに門松《かどまつ》を立てていた。砂糖屋の店さきには七、八人の男や女が、狭そうに押し合っていた。年末大売出しの紙ビラや立看板や、紅い提灯やむらさきの旗や、濁《にご》った楽隊の音や、甲《かん》走った蓄音機のひびきや、それらの色彩と音楽とが一つに溶け合って、師走《しわす》の都の巷《ちまた》にあわただしい気分を作っていた。
「もう数《かぞ》え日《び》だ」
こう思うと、わたしのような閑人《ひまじん》が方々のお邪魔をして歩いているのは、あまり心ない仕業《しわざ》であることを考えなければならなかった。私も、もうまっすぐに自分の家《うち》へ帰ろうと思い直した。そうして、電車の停留場の方へぶらぶら歩いてゆくと、往来なかでちょうど半七老人に出逢った。
「どうなすった。この頃しばらく見えませんでしたね」
老人はいつも元気よく笑っていた。
「実はこれから伺おうかと思ったんですが、歳の暮にお邪魔をしても悪いと思って……」
「なあに、わたくしはどうせ隠居の身分です。盆も暮も正月もあるもんですか。あなたの方さえ御用がなけりゃあ、ちょっと寄っていらっしゃい」
渡りに舟というのは全くこの事であった。わたしは遠慮なしにそのあとについて行くと、老人は先に立って格子をあけた。
「老婢《ばあや》。お客様だよ」
私はいつもの六畳に通された。それから又いつもの通りに佳《よ》いお茶が出る。旨い菓子が出る。忙がしい師走の社会と遠く懸け放れている老人と若い者とは、時計のない国に住んでいるように、日の暮れる頃までのんびり[#「のんびり」に傍点]した心持で語りつづけた。
「ちょうど今頃でしたね。京橋の和泉屋で素人芝居のあったのは……」と、老人は思い出したように云った。
「なんです。しろうと芝居がどうしたん
次へ
全18ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング