。今も云う通りのわけで、わたしは若旦那を殺した。それもみんなお前が恋しいからだ。わたしは一度も口に出したことはなかったが、とうからお前に惚《ほ》れていたんだ。どうしてもお前と夫婦になりたいと思い詰めていたんだ。そのうちにお前は若旦那と……。そうして、近いうちに表向き嫁になると……。わたしの心持はどんなだったろう。お冬どん、察しておくれ。それでも私はおまえを憎いとは思わない。今でも憎いとは思っていない。唯むやみに若旦那が憎くってならなかった。いくら御主人でももう堪忍ができないような気になって、わたしは気が狂ったのかも知れない……今度の年忘れの芝居をちょうど幸いに、日蔭町から出来合いの刀を買って来て、幕のあく間ぎわにそっと掏り替えておくと、それが巧く行って……。それでも若旦那が血だらけになって楽屋へかつぎ込まれた時には、わたしも総身に冷水《みず》を浴びせられたように悚然《ぞっ》とした。それから若旦那がいよいよ息を引き取るまで二日二晩の間、わたしはどんなに怖い思いをしたろう。若旦那の枕もとへ行くたびに、わたしはいつもぶるぶる震えていた。それでも若旦那がいなくなれば、遅かれ速かれおまえは私の物になると……。それを思うと、嬉しいが半分、苦しいが半分で、きょうまで斯《こ》うして生きて来たが……。ああ、もういけない。あの岡っ引はさすがに商売で、とうとう私に眼をつけてしまったらしい」
彼が死んだような顔をして身をおののかしているのが、障子の外からも想像された。和吉は鼻をつまらせながら又語りつづけた。
「岡っ引は店へ来て、酔っ払っている振りをして、主殺しがこの店にいると呶鳴った。そうして、当てつけらしく磔刑《はりつけ》の講釈までして聴かせるので、私はもうそこに居たたまれなくなった位だ。そういう訳だから私はもう覚悟を決めてしまった。ここの店から縄付きになって出て、牢へ入れられて、引き廻しになって、それから磔刑になる。そんな恐ろしい目に逢わないうちに……わたしは一と思いに死んでしまうつもりだ。くどくも云う通り、わたしは決してお前を怨んじゃあいない。けれどもお前という者のために、わたしが斯うなったと思ったら……勿論お前から云ったら、若旦那を殺した仇だとも思うだろうけれど、わたしの心持も少しは察して、どうぞ可哀そうだと思っておくれ。若旦那を殺したのはわたしが悪い。私があやまる。その代りに私
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