肩をそびやかしておじさんの顔をきっとみあげると、しいて勇気をよそおうような私の子供らしい態度が、おじさんの眼にはおかしく見えたらしい。彼はしばらく黙ってにやにや笑っていた。
「そんなら話して聞かせるが、怖くって家《うち》へ帰られなくなったから、今夜は泊めてくれなんて云うなよ」
 まずこう嚇《おど》して置いて、おじさんはおふみの一件というのをしずかに話し出した。
「わたしが丁度|二十歳《はたち》の時だから、元治《げんじ》元年――京都では蛤御門《はまぐりごもん》のいくさがあった年のことだと思え」と、おじさんは先ず冒頭《まくら》を置いた。
 その頃この番町に松村彦太郎という三百石の旗本が屋敷を持っていた。松村は相当に学問もあり、殊に蘭学が出来たので、外国掛《がいこくがかり》の方へ出仕《しゅっし》して、ちょっと羽振りの好い方であった。その妹のお道というのは、四年前に小石川西江戸川端の小幡《おばた》伊織という旗本の屋敷へ縁付いて、お春という今年三つの娘までもうけた。
 すると、ある日のことであった。そのお道がお春を連れて兄のところへ訪ねて来て、「もう小幡の屋敷にはいられませんから、暇を貰《もら》
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