た母と娘とはどちらが先に禍いを受けるのであろうか。そんな恐れと悲しみとが彼女の胸一ぱいに拡がって、あわれなる母は今年の白酒に酔えなかった。
 小幡の家では五日の日に雛をかたづけた。今更ではないが雛の別れは寂しかった。その日の午《ひる》すぎにお道が貸本屋から借りた草双紙を読んでいると、お春は母の膝に取りつきながらその※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28] 絵を無心にのぞいていた。草双紙は、かの薄墨草紙で、むごい主人の手討に逢って、杜若《かきつばた》の咲く古池に沈められたお文という腰元の魂が、奥方のまえに形をあらわしてその恨みを訴えるというところで、その幽霊が物凄く描いてあった。稚いお春もこれには余ほどおびやかされたらしく、その絵を指して「これ、なに」と、こわごわ訊いた。
「それは文という女のお化けです。お前もおとなしくしないと、庭のお池からこういう怖いお化けが出ますよ」
 嚇《おど》すつもりでもなかったが、お道は何心なくこう云って聞かせると、それがお春の神経を強く刺激したらしく、ひきつけたように真っ蒼になって母の膝にひしとしがみ付いてしまった。
 その晩
前へ 次へ
全36ページ中32ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング