おじさんは行き止まりに突き当たるまで調べ尽そうという意気込みで、煤《すす》けた紙に残っている薄墨の筆のあとを根《こん》好くたどって行った。
 帳面はもちろん小幡家のために特に作ってあるわけではない。堺屋出入りの諸屋敷の分は一切あつめて横綴じの厚い一冊に書き止めてあるのであるから、小幡という名を一々拾い出して行くだけでも、その面倒は容易でなかった。殊に長い年代にわたっているのであるから、筆跡も同一ではない。折れ釘のような男文字のなかに糸屑のような女文字もまじっている。殆ど仮名ばかりで小児《こども》が書いたようなところもある。その折れ釘や糸屑の混雑を丁寧に見わけてゆくうちには、こっちの頭も眼もくらみそうになって来た。
 おじさんもそろそろ飽きて来た。面白ずくで飛んだ事を引受けたという後悔の念も兆《きざ》して来た。
「これは江戸川の若旦那。なにをお調べになるんでございます」
 笑いながら店先へ腰を掛けたのは四十二三の痩《や》せぎすの男で、縞の着物に縞の羽織を着て、だれの眼にも生地《きじ》の堅気《かたぎ》とみえる町人風であった。色のあさ黒い、鼻の高い、芸人か何ぞのように表情に富んだ眼をもってい
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