立つてゐた。

        三

 Kのをぢさんは音羽の堺屋へ出向いて、女の奉公人の出入帳を調べた。代々の出入先であるから、堺屋から小幡の屋敷へ入れた奉公人の名前はことごとく帳面に記《しる》されてある筈であつた。
 小幡の云つた通り、最近の帳面にはおふみといふ名を見出すことが出來なかつた。三年、五年、十年とだんだんに遡つて調べたが、おふゆ、おふく、おふさ、總べてふ[#「ふ」に傍点]の字の付く女の名は一つも見えなかつた。
「それでは知行所の方から來た女かな。」
 さうは思ひながらも、をぢさんはまだ強情《がうじやう》に古い帳面を片端から繰つてみた。堺屋は今から三十年前の火事に古い帳面を燒いてしまつて、その以前の分は一冊も殘つてゐない。店にあらん限りの古い帳面を調べても三十年前が行止まりであつた。をぢさんは行止りに突きあたるまで調べ盡さうといふ息込みで、煤《すす》けた紙に殘つてゐる薄墨の筆のあとを根《こん》好く辿つて行つた。
 帳面は勿論小幡家のために特に作つてあるわけではない。堺屋出入りの諸屋敷の分は一切あつめて横綴《よことぢ》の厚い一冊に書き止めてあるのであるから、小幡といふ名を一々
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