現在にこの生きた證據を見せつけられて、松村も小幡も顔を見合せた。それにしても自分達の眼にも見えない闖入者《ちんにゆうしや》の名を、幼いお春がどうして知つてゐるのであらう。それが第一の疑問であつた。小幡はお春を賺《すか》して色々に問ひ糺《ただ》したが、年弱《としよは》の三つでは碌々に口もまはらないので些《ち》つとも要領を得なかつた。濡れた女はお春の小さい魂に乗|憑《うつ》つて、自分の隱れたる名を人に告げるのではないかとも思はれた。刀を持つてゐた二人もなんだか薄氣味が惡くなつて來た。
用人の五左衞門も心配して、あくる日は市ヶ谷で有名な賣卜者《うらなひしや》をたづねた。賣卜者は屋敷の西にある大きい椿の根を掘つてみろと教へた。とりあへずその椿を掘り倒してみたが、その結果はいたづらに賣卜者の信用を墜《おと》すにすぎなかつた。
夜はとても眠れないと云ふので、お道は晝間寢床にはひることにした。おふみも流石に晝は襲つて來なかつた。これで少しはほつとしたものの武家の妻が遊女かなんぞのやうに、夜は起きてゐて晝は寢る、かうした變則の生活状態をつゞけてゆくのは甚だ迷惑でもあり、且《かつ》は不便でもあつた。
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