ひも拾ひ出されなかつた。小幡の發議で更に屋敷内の井戸を浚《さら》はせたが、深い井戸の底からは赤い泥鰌《どぜう》が一匹浮び出て大勢を珍しがらせただけで、これも骨折損に終つた。
詮議の蔓はもう切れた。
今度は松村の發議で、忌《いや》がるお道を無理にこの屋敷へ呼び戻して、お春と一緒にいつもの部屋に寢かすことにした。松村と小幡とは次の間に隱れて夜の更けるのを待つてゐた。
その晩は月の陰《くも》つた暖かい夜であつた。神經の興奮し切つてゐるお道は迚も安らかに眠られさうもなかつたが、なんにも知らない幼い娘はやがてすやすやと寢ついたかと思ふと、忽ち針で眼球《めだま》でも突かれたやうにけたゝましい悲鳴をあげた。さうして「ふみが來た、ふみが來た。」と、低い聲で唸つた。「そら、來た。」
待構へてゐた二人の侍は押取刀で矢庭《やには》に襖《ふすま》をあけた。閉め込んだ部屋のなかには春の夜の生あたゝかい空氣が重く沈んで、陰つたやうな行燈の灯は瞬《またた》きもせずに母子《おやこ》の枕もとを見つめてゐた。外からは風さへ流れ込んだ氣配が見えなかつた。お道は我子を犇《ひし》と抱きしめて、枕に顔を押付けてゐた。
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