き捨てにならないと思ったので、彼は早々に引っ返して親父の庄作に注進《ちゅうしん》した。
 かれらの家は渡し場の近所で、庄作は今や一|合《ごう》の寝酒を楽しんでいるところであったが、それを聞いて眉をよせた。
「そりゃあ大変だ。なにしろ俺も行って様子を見届けよう。」
 庄吉に案内させて庄作も川端へ忍んで行くと、二つの黒い影はもうそこに見いだされなかった。
 暗いなかで聞こえるのは、岸に触れる水の音のみである。女は死ぬと言っていたから、庄吉の立去ったあとに身でも投げたか、それとも男に引摺られて帰ったか、それらはいっさい不明であった。
「お父っさん、どうしよう。」
「さあ。」と、庄作も考えた。「ほか場所ならばともかくも、渡し場近所で何事かあったのを素《そ》知らん顔をしていては、後日に何かの迷惑にならねえとも限らねえ。念のために届けて置くがよかろう。」
 親子は一応その次第を自身番へ届けて出た。
 しかもその男も女もすでにどこへか立去ってしまったというのでは、別に詮議の仕様もないので、自身番でもそのままに捨てて置いた。

     四

 こんにちと違って、その当時の橋場あたりの裏長屋は狭い。殊
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