それじゃあ、あたしが旦那の眼をぬすんで千生さんと……。まあ、途方もない。馬鹿もいい加減にするがいいわ。あたしも芸人だから、千生さんとひと通りのお附合いはしているけれど、何が口惜《くや》しくって、あんな寄席の前坐なんぞと……。お前さんもまた、そんな噂を真《ま》に受けて、あたしの所へ何の掛合いに来たんですよ。」
「別に掛合いに来たというわけじゃあないので……。」と、お兼の声もやや尖ってきこえた。「もしやここへ来やあしないかと思って……。」
「来ませんよ。来られた義理じゃあありませんよ。毒を入れたか入れないか知らないけれども、なにしろあのおはぎを食べたせいで、あたし達はあんな目に逢ったんですから……。つまり、千生さんはあたし達の仇じゃあありませんか。」
「そう言われると、お話は出来ませんけれど、あんな人間でも長之助はわたしの独り息子ですから……。」と、お兼は俄かに声を湿《うる》ませた。「どうしても身を隠さなければならない訳があるなら……。まあ当分はどこに忍んでいるにしても、先立つものは金ですから、ともかくも当座の入用にと思って、実はここに十両のお金を持って来たのですが……。」
延津弥は黙っ
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