る記憶も段々に薄らいで来た。近年の芝居番附には団五郎という名は見えなくなってしまった。二十何年ぶりで今日《こんにち》突然にその訃《ふ》を聞いたのである。何でも旅廻りの新俳優一座に加わって、各地方を興行していたのだという。それ以上のことは詳しく判らないが、その晩年の有様も大抵は想像が付く。
日本一の名優の予言は外れた。団五郎は遂にもの[#「もの」に傍点]にならずに終った。師匠の眼識違《めがねちが》いか、弟子の心得違いか。その当時の美しい少年俳優がこういう運命の人であろうとは、私も思い付かなかった。
三 茶碗
O君が来て古い番茶茶碗をくれた。おてつ牡丹餅《ぼたもち》の茶碗である。
おてつ牡丹餅は維新前から麹町《こうじまち》の一名物であった。おてつという美人の娘が評判になったのである。元園町《もとぞのちょう》一丁目十九番地の角店《かどみせ》で、その地続きが元は徳川幕府の薬園、後には調練場となっていたので、若い侍などが大勢集って来る。その傍《そば》に美しい娘が店を開いていたのであるから、評判になったも無理はない。
おてつの店は明治十八、九年頃まで営業を続けていたかと思う。
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