もあったろう。内所《ないしょ》で書いていた長い手紙には、遣瀬《やるせ》ない思いの数々を筆にいわしていたかも知れない。彼女が陰《くも》った顔をしているのも無理はなかった。そんなこととは知らない私は、随分大きな声で彼女を呼んだ。遠慮なしに用をいい付けた。私は思い遣《や》りのない主人であった。
 それでも彼女は幸《さいわい》であった。彼女が奉公替をしたということを故郷へ知らせて遣った頃から、両親の心も和らいだ。子まで生《な》したものを今更どうすることも能《でき》まいという兄たちの仲裁説も出た。結局彼女を呼び戻して、男に添わして遣ろうということになった。そう決ったらば旧の盂蘭盆《うらぼん》前に嫁入させるが土地の習慣《ならわし》だとかいうので、二番目の兄が俄《にわか》に上京した。おたけは兄に連れられて帰ることになったのである。
 勿論、暇《いとま》をくれるという話さえ決れば、代りの奉公人の来るまでは勤めてもいいとのことであったが、私たちはいつまでも彼女を引止めておくに忍びなかった。嫁入仕度《よめいりじたく》の都合などもあろうから直《すぐ》に引取っても差支《さしつかえ》ないと答えた。彼女は明《あく
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