場合には、赤貝を摺《す》り合せるのが昔からの習《ならい》であるが、『太功記《たいこうき》』十段目の光秀が夕顔棚《ゆうがおだな》のこなたより現《あらわ》れ出《い》でた時に、例の小田の蛙《かわず》が満洲式の家鴨のような声を張上げてぎいぎい[#「ぎいぎい」に傍点]と鳴き出したらどうであろう。光秀も恐《おそら》く竹槍を担《かつ》いで逃げ出すより他《ほか》はあるまい。私は独りで噴飯《ふきだ》してしまった。
ただし満洲の蛙も悉《ことごと》くこの調子外ればかりではなかった。中には楽人《がくじん》の資格を備えている種類もあった。私が楊家屯《ようかとん》に露宿《ろじゅく》した夕《ゆうべ》、宵《よい》の間は例の蛙どもが破れた笙《しょう》を吹くような声を遠慮なく張上げて、私の安眠を散々に妨害したが、夜の更けるに随ってその声も漸く断えた。今夜は風の生暖い夜であった。空は一面に陰《くも》っていた。近所の溜りの池で再び蛙の声が起った。これは聞慣れた普通の声であった。わたしは久振《ひさしぶり》で故郷の音楽を聴いた。桜の散る頃に箕輪田圃《みのわたんぼ》のあたりを歩いているような気分になった。私は嬉しかった、懐かしか
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