自分が当番の夜《よ》の出来事であるから決して誤謬《ごびゅう》はないと断言した。狐が軍人に化けて火薬庫の衛兵を脅かそうとしたというのである。赤羽《あかばね》や宇治の火薬庫事件が頭に残っている際であるから、私は一種の興味を以てその話を聴《き》いた。
どこも同じことで、火薬庫のある附近には、岡がある、森がある、草が深い。殊《こと》に夏の初めであるから、森の青葉は昼でも薄暗いほどに茂っていた。その森の間から夜半《よなか》の一時頃に一つの提灯《ちょうちん》がぼんやり[#「ぼんやり」に傍点]とあらわれた。歩哨《ほしょう》の衛兵が能《よ》く視《み》ると、それは陸軍の提灯で別に不思議もなかった。段々|近《ちかづ》いて来ると、提灯の持主は予《かね》て顔を見識《みし》っているM大尉で、身には大尉の軍服を着けていた。しかし規則であるから、衛兵は銃剣を構えて「誰かッ」と一応|咎《とが》めたが、大尉は何とも返事をしないで衛兵の前に突っ立っていた。
返事をしない以上は直《すぐ》に突き殺しても差支《さしつかえ》ないのであるが、みすみすそれが顔を見識っている大尉であるだけに、衛兵もさすがに躊躇《ちゅうちょ》した。再び声をかけたが、大尉はやはり答えなかった。その中《うち》に衛兵は不思議なことを発見した。大尉の持っている提灯は紙ばかりで骨がなかった。大尉は剣も着けていなかった。衛兵は三たび呼んだが、それでも返事のないのを見て、彼はやにわに銃剣を揮《ふる》って大尉の胸を突き刺した。大尉は悲鳴をあげて倒れた。
衛兵はその旨《むね》を届け出たので、隊でも驚いた。司令部でも驚いた。当番のS君は真先に現場《げんじょう》へ出張した。聯隊長その他も駈付《かけつ》けて見ると、M大尉は軍服を着たままで倒れていた。衛兵の申立《もうしたて》とは違って、その持っている提灯には骨があった。しかし剣は着けていなかった、靴も穿《は》いていなかった。殊《こと》に当番でもない彼が何故《なぜ》こんな姿でここへ巡回して来たのか、それが第一の疑問であった。取《とり》あえずM大尉の自宅へ使を走らせると、大尉は無事に蚊帳《かや》の中に眠っていた。呼び起してこの出来事を報告すると、大尉自身も面食《めんくら》って早々にここへ駈付けて来た。
大尉は小作りの人であった。倒れている死体も小作りの男であった。何人《なにびと》も初めは一見して彼を大尉
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