当今の劇壇をこのままに
岡本綺堂

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)旧臘《きゅうろう》

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(例)※[#「冫+咸」、305−5]
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 今の劇壇、それはこのままでいいと思う。旧臘《きゅうろう》私は小山内《おさない》君の自由劇場の演劇を見た、仲々上手だった、然しあれを今の劇壇に直にまた持って来る事も出来ないでしょうし、文士劇でも勿論あるまい。
 医師が薬を盛る時に、甚しく苦い薬であると、患者は「これは非常によく利《き》く」といわれても、飲むのを嫌がる、男はそれでも我慢をして飲みもするが、婦人などは「死んでも妾《わたし》は飲まない」などと随分と強硬なのがある。生命《いのち》と取換えの事がそれである。どっちかといえば、見ても見ないでもいい芝居を、いくら良《い》いものでも、苦かったら見まいと思う。医師は患者に苦い薬を飲ませる場合に最中やオムラートに包んで服用させる、患者はそれで利くと段々と信じ、かつ馴《な》れて苦い薬も飲むようになる
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