のである。
 今の劇壇はこのままでいいとは、急激な苦い薬を飲ませずに、最中やオムラートで包んで飲ませようの謂《いい》である、私は常にそう思う。芝居の見物は幼稚である、進まないといわれるが、なるほど批評家や脚本作家から見れば幼稚でもあり、進まないであろうが随分と進んでは来ている、昨年、歌舞伎座と市村座で骨《こつ》寄《よ》せの岩藤を演じたが、先代菊五郎の演《や》った一昔の前には見物は喜んで見ていたのが、今では骨《こつ》が寄るのを見ると、いずれも見物は笑った。今の方が遥《はるか》に道具も工夫も巧妙であるでしょうに、見物は笑った。して見ると見物は進んで行く、このままで行っても十年後には随分自由劇場も儲《もう》かる事になるでしょう。私は外国へ行った事はないが、外国《あちら》でも一般の見物にはイブセンやマアテルリングなどは受けないのだそうですな、それで自由劇場のような団隊《だんたい》が沢山あるが、それも思わしい决算《けっさん》を見ないで行悩《ゆきなや》み勝ちだという。

 私は見物は進んで行くし乳がなくても子は育つ、一年経てば一つになる、外国《あちら》でも見物は甘いものだ、といって、現状に満足する
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