「ころもへん+下」、第4水準2−88−10]《かみしも》をきた立派な老人である。これこそほんとうに昔の錦絵からぬけ出して来たかと思われるような、いかにも役者らしい彼の顔、いかにも型に嵌《はま》ったような彼の姿、それは中村|芝翫《しかん》である。同時に、本花道《ほんはなみち》からしずかにあゆみ出た切髪《きりかみ》の女は太宰の後室|定高《さだか》で、眼の大きい、顔の輪廓のはっきりして、一種の気品を具《そな》えた男まさりの女、それは市川団十郎である。大判司に対して、成駒屋の声が盛んに湧くと、それを圧倒するように、定高に対して成田屋、親玉の声が三方からどっと起る。
 大判司と定高は花道で向い合った。ふたりは桜の枝を手に持っている。
「畢竟《ひっきょう》、親の子のというは人間の私、ひろき天地より観るときは、おなじ世界に湧いた虫」と大判司は相手に負けないような眼をみはって空嘯《うそぶ》く。
「枝ぶり悪き桜木は、切って接ぎ木をいたさねば、太宰の家が立ちませぬ」と、定高は凛《りん》とした声でいい放つ。
 観客はみな酔ってしまったらしく、誰ももう声を出す者もない。少年も酔ってしまった。かれは二時間にあま
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