楽はともあれ、勝負事だけは決してさせない事にいたしております。
 余談でございますが、この蜘蛛についてはまだお話があります。
 かのお春の旦那で、近江屋という質屋の亭主もやはり気違いのようになりました。それはある日のこと、蜘蛛を入れて置く印籠筒の蓋がゆるんでいたのでしょう、蜘蛛が畳の上に這い出していたのを、女中の一人がうっかり踏みつけて殺してしまったのでございます。さあ、大変。亭主は烈火のように怒りまして、その女中をきびしく叱った上に打《ぶ》ったり蹴ったりしたとかいうので、女中はくやしいと思ったのか、申訳がないと思ったのか、裏の井戸へ身をなげて死にました。そうなると、亭主もさすがに後悔したのでしょう、その後はなんだか気が変になりまして、夜も昼もその女中のすがたが自分の眼の前にあらわれるとか言って狂い出して、仕舞いには自分もおなじ井戸へ身を投げたという噂を聞きました。
 会津屋といい、善兵衛といい、お春といい、近江屋といい、皆それぞれの変死を遂げたのは、きっと蜘蛛のたたりに相違ないと、世間ではその頃もっぱら言い触らしたそうでございます。蜘蛛の祟《たた》りかどうだか判りませんが、ともかくも
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