だか不安心で、母の帰るのをいよいよ待っていますと、五つ(午後八時)をよほど過ぎた頃に、母は汗をふきながら帰って来ました。それでもほっとしたような顔をして、笑いながら話しました。
「およっちゃんは人騒がせに何を言ったんだろう。ふうちゃんは京橋のお店《たな》にちゃんと勤めているんだよ。」
 わたくしもまずほっとしました。
「それからいろいろ訊いてみたけれど、あの子はまったくなんにも知らないんだよ。およっちゃんももう十六だから、何かやきもちを焼いて、そんな詰まらないことを言ったんだろうが……。」と、母は嘲《あざけ》るようにまた笑いました。「人騒がせでも何でも構わない。それが嘘でまあまあよかったよ。もし本当だった日には、それこそ実に大変だからねえ。」
 母は安心したとみえて、暑いのも疲れたのも忘れたように、馬鹿に機嫌がいいのでございます。
 それをまたおどろかすのも気の毒でしたけれども、しょせん黙ってはいられないことですから、叔母がたずねて来たことと、お由が家出をしたらしいことを、逐一に話してきかせますと、母は「まあ」と言ったばかりで、折角の笑い顔がまた俄かにくもってしまいました。
「困ったね
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