蜘蛛の夢
岡本綺堂
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)嘉永《かえい》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)三年|戌歳《いぬどし》の
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)ませ[#「ませ」に傍点]ていた
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一
S未亡人は語る。
わたくしは当年七十八歳で、嘉永《かえい》三年|戌歳《いぬどし》の生れでございますから、これからお話をする文久《ぶんきゅう》三年はわたくしが十四の年でございます。むかしの人間はませ[#「ませ」に傍点]ていたなどと皆さんはよくおっしゃいますが、それでも十四ではまだ小娘でございますから、何もかも判っているという訳にはまいりません。このお話も後に母などから聞かされたことを取りまぜて申上げるのですから、そのつもりでお聴きください。
年寄りのお話はとかくに前置きが長いので、お若い方々はじれったく思召《おぼしめ》すかも知れませんが、まずお話の順序として、わたくしの一家と親類のことを少しばかり申上げて置かなければなりません。わたくしはその頃、四谷の石切横町に住んでいました。天王《てんのう》さまのそばでございます。父は五年以前に歿しまして、母とわたくしは横町にしもた[#「しもた」に傍点]家《や》ぐらしを致していました。別に財産というほどの物もないのでございますが、髪結床《かみゆいどこ》の株を持っていまして、それから毎月三|分《ぶ》ほど揚がるとかいうことで、そのほかに叔父の方から母の小遣いとして、一分《いちぶ》ずつ仕送ってくれますので、あわせて毎月|小《こ》一両、それだけあればその時代には女ふたりの暮らしに困るようなことはなかったのでございます。兄は十九で京橋の布袋屋《ほていや》という大きい呉服屋さんへ奉公に出ていまして、その年季のあけるのを母は楽しみにしていたのでございます。
叔父は父の弟で、わたくしの母よりも五つの年上で、その頃四十一の前厄《まえやく》だと聞いていました。名は源造といいまして、やはり四谷通りの伝馬町《てんまちょう》に会津屋《あいづや》という刀屋の店を出していましたので、わたくしの家とは近所でもあり、かたがたしてわたくしの家の後見というようなことになっていました。叔父の女房、すなわち私の叔母にあたります人は、おまんといいまして、その夫婦の間にお定、お
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