由という娘がありまして、姉が十八、妹が十六でございました。
これでまず両方の戸籍しらべも相済みまして、さてこれから本文《ほんもん》でございます。前にも申上げました通り、文久三年、この年の二月十三日には十四代将軍が御上洛になりまして、六月の十六日に御帰城になりました。そのお留守中と申すので、どこのお祭りもみな質素に済ませることになりまして、六月のお祭り月にも麹町の山王さまは延期、赤坂の氷川《ひかわ》さまもお神輿《みこし》が渡っただけで、山車《だし》も踊り屋台も見合せ、わたくしの近所の天王さまは二十日過ぎになってお祭りをいたしましたが、そういう訳ですから、氏子《うじこ》の町内も軒提灯《のきぢょうちん》ぐらいのことで、別になんの催しもございませんでした。年のゆかない私どもには、それが大変さびしいように思われましたが、これも御時節で仕方もございません。
その六月の二十六日とおぼえています。その頃わたくしは近所の裁縫のお師匠さんへかよっていましたので、お午《ひる》ごろに帰って来まして、ちょうど自分の家の横町へはいりかかりますと、家から二、三|間《げん》手前のところに男と女が立っていまして、男はわたくしの家を指さし、女に何か小声で話しているらしいのでございます。何だかおかしいと思ってよく見ると、その男は会津屋の叔父で、女は二十二、三ぐらいの粋な風俗、どうも堅気の人とは見えないのでした。叔父さんがあんな女を連れて来て、わたくしの家を指してなんの話をしているのかと、いよいよ不思議に思いながらだんだんに近寄って行きますと、叔父はわたくしの足音に気がついて、こっちを急に振向きましたが、そのまま黙って女と一緒に、むこうの方へ行ってしまいました。
「今、叔父さんが家の前に立っていましたよ。」
わたくしは家へ帰ってその話をすると、母も妙な顔をしていました。
「そうかえ。叔父さんがそんな女と一緒に……。家《うち》へは寄って行かなかったよ。」
「じゃあ、阿母《おっか》さんは知らないの。」
「ちっとも知らなかったよ。」
話はそれぎりでしたが、その時に母は妙な顔をしたばかりでなく、だんだんに陰《くも》ったような忌《いや》な顔に変ってゆくのがわたくしの眼につきました。しかし母はなんにも言わず、わたくしもその上の詮議《せんぎ》もしませんでした。
旧暦の六月末はもう土用のうちですから、どこのお稽
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