しかし今度はお由が近所の湯屋へ行く途中に待っていて、姉さんは布袋屋に奉公しているふう[#「ふう」に傍点]ちゃん――わたくしの兄でございます。――と一緒に、大木戸の相模屋にかくれているから、わたしはこれから捉《つか》まえに行く。それでも相手は二人だから逃がすと困る。わたしがふうちゃんを押えるから、おまえは姉さんを捉まえてくれといって、うまくお由を連れ出したのだそうでございます。これは年のわかいお由の嫉妬心を煽って、やすやすと連れて行く手段であったものと想像されます。お由が善兵衛の家へ連れ込まれたときには、お定はもうそこの二階にはいなかったのでございます。
 こうして、ふたりの娘を自分の方へ取上げてしまった善兵衛は、叔父を案内して家を出ました。善兵衛はあしたにしろと言ったのですが、叔父はどうしても承知しない。暗い時ではいけないから昼間にしろと言っても、叔父はきかない。そこで、蝋燭を用意して一緒に行くことになった――と、善兵衛自身はこう言うのですが、嘘か本当か判りません。ともかくも暗い夜道を千駄ヶ谷の方角へたどって行きまして、広い草原のなかを探しあるいて、ここらの土のなかには強い袋蜘蛛がたくさんに棲んでいると教えたので、叔父は小さい蝋燭のひかりを頼りに、そこらを照らして見ると、善兵衛は足もとに転がっていた大きい切石を拾って……。後に善兵衛の申立てによると、初めから叔父を殺そうとして連れ出したのではなく、ふと足もとに大きい石のあるのを見て、俄かにそんな料簡《りょうけん》を起したのだということでしたが、実際はどうでございましょうか。いずれにしても、ここの蜘蛛を捕って行ったところで、きっと勝つかどうだか判らない。それをまた、かれこれとうるさく言って来て、娘をかえせの何のと騒ぎ立てられてはいよいよ面倒であるから、いっそ人知れずに殺してしまえという気になったに相違ありません。そのときに蝋燭は落ちて消えてしまったので、叔父の印籠の落ちたことを善兵衛は知らなかったのでございます。この印籠がなかったらば、役人たちも蜘蛛のことには気が付かず、詮議もすこしく暇《ひま》どれたことと察しられますが、蜘蛛に係り合いがあると目をつけて、四谷新宿辺でその勝負をするものを探り出したので、案外に早く埒《らち》が明いたわけでございます。
 それにしても、どうして善兵衛の仕業《しわざ》ということが判ったかとい
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