口なしでよく判りませんが、わたくしの横町へはいって、大きい銀杏の下に雨やどりをしているうちに、運わるく雷が落ちて来たらしいのです。前後の事情を考えると、どうしてもこう判断するよりほかはありません。よい辰が利かないからだを駕籠にのせて、会津屋へ呶鳴り込んで来たのも、それがためです。
 お春のことはまずそれとしまして、これからは叔父と娘ふたりの身の上でございますが、まったく勝負事にのぼせるというのは怖ろしいもので、叔父はもう夢中になってしまって、親子の情愛も忘れたらしいのでございます。勿論、盆前《ぼんまえ》にさしかかって諸方の借金に責められるという苦しい事情もあったのでしょうが、叔父は、ここで、どうしても勝ちたい、勝たなければならないと思ったらしいのです。それには前にも申す通り、どうしても強い虫を手に入れなければなりません。よい辰のところへ勝負に来る仲間はなんでも十人ほどありまして、その中で大木戸に住んでいる相模屋という煙草屋の亭主の持っている虫はたいそう強いので、叔父はしきりにそれを羨ましがって、どうか一匹譲ってくれないかと頼みますと、相模屋の亭主――名は善兵衛というのでございます。――はなかなか承知しませんで、これはみんな大事の虫だからめったに譲ることは出来ないと断りました。叔父はもう逆上《のぼ》せていますから、譲ってくれればどんな礼でもするという。それでも善兵衛は容易に承知しないでさんざん焦《じ》らした挙げ句に、おまえの娘をくれるならば譲ってやると言い出したのでございます。ずいぶん乱暴な話ですけれども、半気違いの叔父は、むむ、よろしいと承知してしまいました。
 しかしほかの事と違いますから、叔母に打明けるわけには参りません。いえば、不承知は判り切っています。不承知どころか、どんな騒ぎになるか判りません。そこで、叔父はそっと自分の家の近所へ忍んで来て、姉娘が外へ出るのを待っていますと、お定が糸を買いに出て来ましたので、ちょいとそこまで一緒に来てくれといって連れて行きました。お定も自分の親のいうことですから、なんの気もつかずに一緒に付いて行くと、叔父はむすめを大木戸の相模屋へ連れ込んで、いい加減にだまして二階へ押上げてしまいました。こうなると、お定ももう十七、八ですから、なんだかおかしく思って、早く家へ帰りたいと言い出しますと、叔父はここで一切《いっさい》の事情を打明
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