ず、又そんな元気もないのが、なんだか寂しいやうにも思はれます。そのお転婆の若い盛りに、あとにも先にも唯《た》つた一度、わたくしは不思議なことに出逢《であ》ひました。そればかりは今でも判《わか》りません。勿論《もちろん》、わたくし共のやうな頭の古いものには不思議のやうに思はれましても、今の若い方達には立派に解釈が付いていらつしやるかも知れません。したがつて「あり得《う》べからざる事」などといふ不思議な出来事ではないかも知れませんが、前にも申上げました通り、わたくし自身が現在|立会《たちあ》つたのでございますから、嘘や作り話でないことだけは、確《たしか》にお受合ひ申します。
 日露戦争が済んでから間もない頃でございました。水沢さんの継子《つぎこ》さんが、金曜日の晩にわたくしの宅へおいでになりまして、明後日《あさって》の日曜日に湯河原《ゆがわら》へ行かないかと誘つて下すつたのでございます。継子さんの阿兄《おあにい》さんは陸軍中尉で、奉天《ほうてん》の戦ひで負傷して、しばらく野戦病院に這入《はい》つてゐたのですが、それから内地へ後送されて、矢《や》はりしばらく入院してゐましたが、それでも負傷は
前へ 次へ
全15ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング