子さんのことが甚《ひど》く不安になつて来ましたので、乗らうか乗るまいかと考へてゐるうちに、汽車はわたくしを置去《おきざ》りにして出て行つてしまひました。
 もう斯《こ》うなると次の列車を待つてはゐられません。わたくしは湯河原へ引返《ひっかえ》すことにして、再び小田原行の電車に乗りました。

 こゝまで話して来て、Mの奥さんは一息ついた。
「まあ、驚くぢやございませんか。それから湯河原へ引返しますと、継子さんはほんたうに死んでゐるのです。」
「死んでゐましたか。」と、聴く人々も眼《め》を瞠《みは》つた。
「わたくしが発《た》つた時分には勿論《もちろん》何事もなかつたのです。それからも別に変つた様子もなくつて、宿の女中にたのんで、雨のために既《も》う一日逗留するといふ電報を東京の家《うち》へ送つたさうです。さうして、食卓《ちゃぶだい》にむかつて手紙をかき始めたさうです。その手紙はわたくしに宛てたもので、自分だけが後に残つてわたくし一人を先へ帰した云訳《いいわけ》が長々と書いてありました。それを書いてゐるあひだに、不二雄さんはタオルを持つて一人で風呂場へ出て行つて、やがて帰つて来てみると、継子さんは食卓《ちゃぶだい》の上にうつ伏してゐるので、初めはなにか考へてゐるのかと思つたのですが、どうも様子が可怪《おかし》いので、声をかけても返事がない。揺つてみても正体がないので、それから大騒ぎになつたのですが、継子さんはもうそれぎり蘇生《いきかえ》らないのです。お医師《いしゃ》の診断によると、心臓|麻痺《まひ》ださうで……。尤《もっと》も継子さんは前の年にも脚気《かっけ》になつた事がありますから、矢はりそれが原因になつたのかも知れません。なにしろ、わたくしも呆気《あっけ》に取られてしまひました。いえ、それよりも私《わたくし》をおどろかしたのは、国府津の停車場で出逢《であ》つた娘のことで、あれは一体何者でせう。不二雄さんは不意の出来事に顛倒《てんとう》してしまつて、なか/\私《わたくし》のあとを追ひかけさせる余裕はなかつたのです。宿からも使《つかい》などを出したことはないと云ひます。してみると、その娘の正体が判りません。どうしてわたくしに声をかけたのでせう。娘が教へてくれなかつたら、わたくしは何にも知らずに東京へ帰つてしまつたでせう。ねえ、さうでせう。」
「さうです、さうです。」と、人々はうなづいた。
「それがどうも判りません。不二雄さんも不思議さうに首をかしげてゐました。わたくしに宛てた継子さんの手紙は、もうすつかり[#「すつかり」に傍点]書いてしまつて、状袋《じょうぶくろ》に入れたまゝで食卓《ちゃぶだい》の上に置いてありました。」



底本:「日本幻想文学集成23 岡本綺堂」国書刊行会
   1993(平成5)年9月20日初版第1刷発行
底本の親本:「綺堂読物集・三」春陽堂
   1926(大正15)年
初出:「講談倶楽部」
   1925(大正14)年5月
※ルビを新仮名遣いとする扱いは、底本通りにしました。
入力:林田清明
校正:門田裕志、小林繁雄
2005年6月5日作成
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