居《なかい》を呼んでよく話してやる。心配するな」
いかに今夜が店出しでも、お染はもう勤めの女である以上、相手の男よりも色町の事情を承知していた。男の親切はよく判っているが、更に考えてみると、一体この人は自分の客であろうか。自分の客ならばともかくも、ほかの客が横合いから花代を払って勝手に帰れと命令しても、自分の客が承知するかどうか判《わか》らない。仲居もきっと承知しない。そんな掛け合いをするのは無駄なことであると思ったので、彼女はまずこの人が自分の客であるかないかを確かめようとした。
「お前さまのお相方《あいかた》はどなたでござります」
「おれは知らぬ。おれは今夜初めて誘われて来たのだ」と、男は無頓着そうに答えた。「そうして、お前は誰の相手だ」
「わたしも知りませぬ」
お染は今夜の座敷へ出たはじめから碌々に顔をあげたこともないので、自分の客の年頃も容形《なりかたち》もなんにも知らないのであった。男は自分の相方を知らなかった。女は自分の客を知らなかった。
「おれの相方でなければ自由に帰してやることは出来ぬか」と、男もさすがに気がついたらしく言い出した。
「そうでござります」
「よい。そ
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