のである。
この場合、祇園はあくまでも柳町を圧倒しようとする競争心から、いずこの主人も遊女の勤め振りをやかましくいう。ことに相手の客が大切な江戸の侍とあっては、なおさらその勤め振りに就いて主人がいろいろの注意をあたえるのも無理はなかった。しかし、どんなにやかましい注意をうけても、今度が初めての店出《みせだ》しというおぼこ娘のお染には、どうしていいかちっとも見当がつかなかった。江戸の侍の機嫌を損じると店の商売にかかわるばかりか、どんな咎《とが》めを受けるかも知れぬぞと、彼女は主人から嚇《おど》されて来たのである。悲しいと怖ろしいとが一緒になって、お染はふるえながら揚屋《あげや》の門《かど》をくぐった。
あげ屋は花菱《はなびし》という家で、客は若い侍の七人連れであった。その中で坂田という二十二、三の侍はお花という女の馴染みであるらしい。酒の間に面白そうな話などをして、頻《しき》りにみんなを笑わせていたが、お染はなかなか笑う気にはなれなかった。彼女の唇は悲しそうに結ばれたままでほぐれなかった。彼女は明るい灯のかげを恐れるように、絶えず伏目になっていたが、その眼にはいつの間にか涙がいっぱい
前へ
次へ
全49ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング