い思いに誘いあわせて、ある者は山や水に親しんで京の名所を探った。ある者は紅《べに》や白粉《おしろい》を慕って京の女をあさった。したがって京の町は江戸の侍で繁昌した。取り分けて色をあきなう巷《ちまた》は夜も昼も押し合うように賑わっていた。
 この恋物語を書く必要上、ここでその当時に於ける京の色町《いろまち》に就《つ》いて、少しばかり説明を加えておきたい。その当時、京の土地で公認の色町と認められているのは六条|柳町《やなぎちょう》の遊女屋ばかりで、その他の祇園《ぎおん》、西石垣、縄手、五条坂、北野のたぐいは、すべて無免許の隠し売女《ばいじょ》であった。それらが次第に繁昌して、柳町の柳の影も薄れてゆく憂いがあるので、柳町の者どもは京都|所司代《しょしだい》にしばしば願書をささげて、隠し売女の取締りを訴えたが、名奉行の板倉伊賀守もこの問題に対しては余り多くの注意を払わなかったらしく、祇園その他の売女はますますその数を増して、それぞれに立派な色町を作ってしまった。その中でも祇園町が最も栄えて、柳町はいたずらに格式を誇るばかりの寂しい姿になった。
 お染はその祇園の若松屋という遊女屋に売られて来た
前へ 次へ
全49ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング