あった。どなたも江戸のお侍さまじゃ、疎※[#「勹+夕」、第3水準1−14−76]《そそう》があってはならぬぞと、彼女は主人から注意されていた。それも彼女に取っては大きい不安のかたまりであった。
この時代には引きつづいて江戸の将軍の上洛《じょうらく》があった。元和《げんな》九年には二代将軍秀忠が上洛した。つづいてその世子《せいし》家光も上洛した。その時に秀忠は将軍の職を辞して、家光が嗣《つ》ぐことになったのである。それから三年目の寛永《かんえい》三年六月に秀忠はかさねて上洛した。つづいて八月に家光も上洛した。
先度の元和の上洛も将軍家の行粧《ぎょうそう》はすこぶる目ざましいものであったが、今度の寛永の上洛は江戸の威勢がその後一年ごとに著《いちじ》るしく加わってゆくのを証拠立てるように花々しいものであった。前将軍の秀忠がおびただしい人数《にんず》を連れて滞在しているところへ、新将軍の家光が更におびただしい同勢を具して乗り込んで来たのであるから、京の都は江戸の侍で埋《うず》められた。将軍のお供とはいうものの、参内《さんだい》その他の式日を除いては、さして面倒な勤務をもっていない彼らは、思
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