《おが》んだ。
 江戸の侍に嘘はなかった。半九郎はあくる日からお染を揚げ詰めにして、自分ひとりのものにしてしまった。店出しの初めから仕合せな客を取り当てたと、若松屋の主人も喜んだ。お雪も喜んだ。朋輩たちも羨《うらや》んだ。
 坂田市之助も花菱へたびたび遊びに来た。しかし彼はお花のほかにも幾人かの馴染みの女をもっているらしく、方々の揚屋を浮かれ歩いていた。
「わたしの人にくらべると、半さまは情愛のふかい、正直一方のお人、お前と二人が睦まじい様子を見せられると、妬《ねた》ましいほどに羨まれる」と、お花は折りおりにお染をなぶった。なぶられて、お染はいつもあどけない顔を真紅《まっか》に染めていた。
 半月あまりは夢のようにたった。十三夜は月が冴えていた。半九郎は五条に近い宿を出て、いつものように祇園へ足を向けてゆくと、昼のように明るい路端《みちばた》で一人の若侍に逢った。
「半九郎どのか」
「源三郎《げんざぶろう》、どこへゆく」と、半九郎は打ち解けてきいた。
「兄をたずねて……」
「何ぞ用か」
「毎日毎晩あそび暮らしていては勤め向きもおろそかになる。兄の放埒《ほうらつ》にも困り果てた」と、源三
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