と思召《おぼしめ》す。我われ一同が遠からず京地を引払うに就いては、上《かみ》の御用は申すに及ばず、銘々の支度やら何やかやで、きのう今日は誰もが眼がまわるほどに忙がしい最中に、短い冬の日を悠長らしく色里の居続け遊び、わたくしの用向きは手前|一人《いちにん》が手足を擦り切らしても事は済めど、上の御用は一人が一人役、それでお前さまのお役が勤まりまするか、支配頭の首尾がよいと思召すか。京|三界《さんがい》まで一緒に連れ立って来て、弟に苦労さするが兄の手柄か、少しは御分別なされませ」
 これが過日《このあいだ》から源三郎の胸に畳まっていた不平であった。現に兄は昨夜も戻らない。きょうも戻らない、出発まぎわにあってもまだ止《と》めどもなしに遊び歩いている兄の放埒には源三郎も呆れ果てた。年の若い彼はじりじりするほどに腹が立った。
 今夜も荷作りの達しが来たが、自分と家来ばかりでは纏《まと》め方が判らない。さりとておとなしく待っていてはいつ帰るか知れないので、源三郎は焦《じ》れにじれて、自分で兄の在りかを探しに出た。折りからの時雨に湿《ぬ》れながらまず六条の柳町をたずねると、そこには兄の姿が見付からなかった。それからまた方角を変えて祇園へ来て、ようようその居どころを突きとめると、兄は女の膝枕で他愛なく眠っている。源三郎はもう我慢も勘弁も出来なくなって、不平と疳癪《かんしゃく》が一時に爆発したのであった。
 それは市之助もさすがに察していた。弟が焦れて怒るのも無理はないと思った。彼は自分の遊興を妨げた弟を憎もうとはしなかった。しかし弟の言い条《じょう》を立てて、これから直ぐに帰る気にもなれなかった。
「もういい、もういい。何もかも判った、判った。おれもやがて帰るから、お前はひと足先へ帰れ」
 見え透いた一寸《いっすん》逃れと、弟はなかなか得心しなかった。
「いや、どうでお帰りなさるるなら、手前も一緒にお供いたす。さあ、すぐにお支度なされ」
 容赦のない居催促《いざいそく》には、兄も持て余した。
「それは無理というものだ。帰るには相当の支度もある。まあ、何でもよいから先へ行け」
 相手になっていては面倒だと、市之助はその場をはずす積もりらしい、酔いにまぎらせてよろけながら席を起《た》つと、お花は彼を囲うようにして、一緒に起った。ほかの女たちもそれを機《しお》に、この面倒な座敷をはずしてしまった。
 あとには半九郎とお染とが残った。半九郎は黙って酒を飲んでいた。

     五

 兄のうしろ姿を見送って、源三郎は少し思案していたが、これも刀をとって続いて起とうとした。あくまでも兄のあとを追って行って、無理に引き戻す積もりであろうと見た半九郎は、さすがに見兼ねて声をかけた。
「源三郎。待て、待て」
 源三郎は無言で見返った。さっきから半九郎がそこにいるのを知りながら、彼は何の会釈《えしゃく》もしなかったのである。
「かような場所で立ち騒いでは見苦しい。今夜はおとなしく帰ったがよかろう。兄はきっとこの半九郎が連れて戻る。安心して帰れ、帰れ」と、半九郎は杯を手にしながら言った。
 余人《よじん》ならばともかくも、日頃から兄の悪友と睨んでいる半九郎の仲裁を、源三郎は素直に承知する筈はなかった。現に先月の十三夜にも、半九郎はきっと帰すと安受け合いをして置きながら、兄はその晩に帰らなかった。そうした嘘つきの、不信用の半九郎が、今更何を言っても相手にはならぬというように、源三郎は眼に角《かど》を立てて罵《ののし》るように答えた。
「いや、安心してはいられまい。一つ穴のむじな[#「むじな」に傍点]どもが安受け合いを、真《ま》にうけて帰らりょうか。源三郎はもうお身たちに化かされてはおらぬぞ。兄がかようなたわけの有りたけを尽くすも、お身たちのような不仕埒《ふしだら》な朋輩があればこそ。よい朋輩を持って兄も仕合せ者、手前もきっとお礼を申すぞ」
 喧嘩腰の挨拶を、半九郎は笑いながら受け流した。
「はは、そのように怒るなよ。お身はまだ年が若いので、一途《いちず》に人ばかり悪い者のように言うが、兄は兄、おれはおれだ。兄が遊ぶと、おれが遊ぶとは、同じ遊びでも心の入れ方が違うかも知れぬ。いや、それはそれとして、兄も今夜が京の遊び納めであろうから、それを無理に連れて帰ろうとするのは余りにむごい、気の毒だ。おれも今引っ返して荷作りをして来たが、兄の指図を受けずともお身と家来どもの手でどうにかなろう。まあ、今晩ひと晩だけは兄を助けてやれ」
「どうにかなる程なら、わざわざ呼びにはまいらぬ」
「理屈っぽい男だ。何にも言わずに帰れ、帰れ」
「帰ろうと帰るまいと手前の勝手だ」と、源三郎は衝《つ》と起った。
 強情に兄のあとを追って行こうとするらしいので、お染ももう見ていられなくなった。彼女は思
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