鳥辺山心中
岡本綺堂
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)溝川《どぶがわ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)六条|柳町《やなぎちょう》の
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「勹+夕」、第3水準1−14−76]
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一
裏の溝川《どぶがわ》で秋の蛙《かわず》が枯れがれに鳴いているのを、お染《そめ》は寂しい心持ちで聴いていた。ことし十七の彼女《かれ》は今夜が勤めの第一夜であった。店出しの宵――それは誰でも悲しい経験に相違なかったが、自体が内気な生まれつきで、世間というものをちっとも知らないお染は、取り分けて今夜が悲しかった。悲しいというよりも怖ろしかった。彼女はもう座敷にいたたまれなくなって、華やかな灯《ひ》の影から廊下へ逃《のが》れて、裏手の低い欄干に身を投げかけながら、鳴き弱った蛙の声を半分は夢のように聴いていたのであった。
もう一つ、彼女の弱い魂をおびやかしたのは、今夜の客が江戸の侍《さむらい》ということであった。どなたも江戸のお侍さまじゃ、疎※[#「勹+夕」、第3水準1−14−76]《そそう》があってはならぬぞと、彼女は主人から注意されていた。それも彼女に取っては大きい不安のかたまりであった。
この時代には引きつづいて江戸の将軍の上洛《じょうらく》があった。元和《げんな》九年には二代将軍秀忠が上洛した。つづいてその世子《せいし》家光も上洛した。その時に秀忠は将軍の職を辞して、家光が嗣《つ》ぐことになったのである。それから三年目の寛永《かんえい》三年六月に秀忠はかさねて上洛した。つづいて八月に家光も上洛した。
先度の元和の上洛も将軍家の行粧《ぎょうそう》はすこぶる目ざましいものであったが、今度の寛永の上洛は江戸の威勢がその後一年ごとに著《いちじ》るしく加わってゆくのを証拠立てるように花々しいものであった。前将軍の秀忠がおびただしい人数《にんず》を連れて滞在しているところへ、新将軍の家光が更におびただしい同勢を具して乗り込んで来たのであるから、京の都は江戸の侍で埋《うず》められた。将軍のお供とはいうものの、参内《さんだい》その他の式日を除いては、さして面倒な勤務をもっていない彼らは、思
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