い思いに誘いあわせて、ある者は山や水に親しんで京の名所を探った。ある者は紅《べに》や白粉《おしろい》を慕って京の女をあさった。したがって京の町は江戸の侍で繁昌した。取り分けて色をあきなう巷《ちまた》は夜も昼も押し合うように賑わっていた。
 この恋物語を書く必要上、ここでその当時に於ける京の色町《いろまち》に就《つ》いて、少しばかり説明を加えておきたい。その当時、京の土地で公認の色町と認められているのは六条|柳町《やなぎちょう》の遊女屋ばかりで、その他の祇園《ぎおん》、西石垣、縄手、五条坂、北野のたぐいは、すべて無免許の隠し売女《ばいじょ》であった。それらが次第に繁昌して、柳町の柳の影も薄れてゆく憂いがあるので、柳町の者どもは京都|所司代《しょしだい》にしばしば願書をささげて、隠し売女の取締りを訴えたが、名奉行の板倉伊賀守もこの問題に対しては余り多くの注意を払わなかったらしく、祇園その他の売女はますますその数を増して、それぞれに立派な色町を作ってしまった。その中でも祇園町が最も栄えて、柳町はいたずらに格式を誇るばかりの寂しい姿になった。
 お染はその祇園の若松屋という遊女屋に売られて来たのである。
 この場合、祇園はあくまでも柳町を圧倒しようとする競争心から、いずこの主人も遊女の勤め振りをやかましくいう。ことに相手の客が大切な江戸の侍とあっては、なおさらその勤め振りに就いて主人がいろいろの注意をあたえるのも無理はなかった。しかし、どんなにやかましい注意をうけても、今度が初めての店出《みせだ》しというおぼこ娘のお染には、どうしていいかちっとも見当がつかなかった。江戸の侍の機嫌を損じると店の商売にかかわるばかりか、どんな咎《とが》めを受けるかも知れぬぞと、彼女は主人から嚇《おど》されて来たのである。悲しいと怖ろしいとが一緒になって、お染はふるえながら揚屋《あげや》の門《かど》をくぐった。
 あげ屋は花菱《はなびし》という家で、客は若い侍の七人連れであった。その中で坂田という二十二、三の侍はお花という女の馴染みであるらしい。酒の間に面白そうな話などをして、頻《しき》りにみんなを笑わせていたが、お染はなかなか笑う気にはなれなかった。彼女の唇は悲しそうに結ばれたままでほぐれなかった。彼女は明るい灯のかげを恐れるように、絶えず伏目になっていたが、その眼にはいつの間にか涙がいっぱい
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