中国怪奇小説集
閲微草堂筆記(清)
岡本綺堂

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)観奕道人《かんえきどうじん》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一朝一|夕《せき》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「日+均のつくり」、第3水準1−85−12]
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 第十五の男は語る。
「わたくしは最後に『閲微草堂筆記』を受持つことになりましたが、これは前の『子不語』にまさる大物で、作者は観奕道人《かんえきどうじん》と署名してありますが、実は清《しん》の紀※[#「日+均のつくり」、第3水準1−85−12]《きいん》であります。紀※[#「日+均のつくり」、第3水準1−85−12]は号を暁嵐《ぎょうらん》といい、乾隆《けんりゅう》時代の進士《しんし》で、協弁大学士に進み、官選の四庫全書を作る時には編集総裁に挙げられ、学者として、詩人として知られて居ります。死して文達公と諡《おくりな》されましたので、普通に紀文達とも申します。
 この著作は一度に脱稿したものではなく、最初に『※[#「さんずい+欒」、第3水準1−87−35]陽鎖夏録《らんようしょうかろく》』六巻を編み、次に『如是我聞《にょぜがもん》』四巻、次に『槐西雑誌《かいせいざっし》』四巻、次に『姑妄聴之《こもうちょうし》』四巻、次に『※[#「さんずい+欒」、第3水準1−87−35]陽続録《らんようぞくろく》』六巻を編み、あわせて二十四巻に及んだものを集成して、『閲微草堂筆記』の名を冠《かぶ》らせたのでありまして、実に一千二百八十二種の奇事異聞を蒐録《しゅうろく》してあるのですから、とても一朝一|夕《せき》に説き尽くされるわけのものではありません。もしその全貌を知ろうとおぼしめす方は、どうぞ原本に就いてゆるゆる御閲読をねがいます」

   落雷裁判

 清《しん》の雍正《ようせい》十年六月の夜に大雷雨がおこって、献《けん》県の県城の西にある某村では、村民なにがしが落雷に撃たれて死んだ。
 明《めい》という県令が出張して、その死体を検視したが、それから半月の後、突然ある者を捕えて訊問した。
「おまえは何のために火薬を買ったのだ」
「鳥を捕るためでございます」
「雀ぐらいを撃つ弾薬《たまぐすり》ならば幾らもいる筈はない。おまえは何で二、三十|斤《きん》の火薬を買ったのだ」
「一度に買い込んで、貯えて置こうと思ったのでございます」
「おまえは火薬を買ってから、まだひと月にもならない。多く費したとしても、一斤か二斤に過ぎない筈だが、残りの薬はどこに貯えてある」
 これには彼も行き詰まって、とうとう白状した。彼はかの村民の妻と姦通していて、妻と共謀の末にその夫を爆殺し、あたかも落雷で震死したようによそおったのであった。その裁判落着の後、ある人が県令に訊いた。
「あなたはどうしてあの男に眼を着けられたのですか」
「火薬を爆発させて雷《らい》と見せるには、どうしても数十斤を要する。殊に合薬《ごうやく》として硫黄《いおう》を用いなければならない。今は暑中で爆竹などを放つ時節でないから、硫黄のたぐいを買う人間は極めてすくない。わたしはひそかに人をやって、この町でたくさんの硫黄を買った者を調べさせると、その買い手はすぐに判った。更にその買い手を調べさせると、村民のなにがしに売ったという。それで彼が犯人であると判ったのだ」
「それにしても、当夜の雷がこしらえ物であるということがどうして判りました」
「雷が人を撃つ場合は、言うまでもなく上から下へ落ちる。家屋を撃ちこわす場合は、家根《やね》を打ち破るばかりで、地を傷めないのが普通である。然るに今度の落雷の現場を取調べると、草葺き家根が上にむかって飛んでいるばかりか、土間の地面が引きめくったように剥《は》がれている。それが不審の第一である。又その現場は城を距《さ》ること僅か五、六里で、雷電もほぼ同じかるべき筈であるが、当夜の雷はかなり迅烈であったとはいえ、みな空中をとどろき渡っているばかりで、落雷した様子はなかった。それらを綜合して、わたしはそれを地上の偽雷と認めたのである」
 人は県令の明察に服した。

   鄭成功と異僧

 鄭成功《ていせいこう》が台湾に拠《よ》るとき、粤東《えつとう》の地方から一人の異僧が海を渡って来た。かれは剣術と拳法に精達しているばかりか、肌をぬいで端坐していると、刃で撃っても切ることが出来ず、堅きこと鉄石の如くであった。彼はまた軍法にも通じていて、兵を談ずることすこぶるその要を得ていた。
 鄭成功は努《つと》めて四方の豪傑を招いている際であったので、礼を厚うして彼を※[#「疑のへん+欠」、第3水準1−86−31]待《かんたい》したが、日を経るにしたがって彼はだんだんに増長して、傲慢無礼《ごうまんぶれい》の振舞いがたびかさなるので、鄭成功もしまいには堪えられなくなって来た。且《かつ》かれは清国の間牒《かんちょう》であるという疑いも生じて来たので、いっそ彼を殺してしまおうと思ったが、前にもいう通り、彼は武芸に達している上に、一種の不死身《ふじみ》のような妖僧であるので、迂闊に手を出すことを躊躇《ちゅうちょ》していると、その大将の劉国軒《りゅうこくけん》が言った。
「よろしい。その役目はわたくしが勤めましょう」
 劉はかの僧をたずねて、冗談のように話しかけた。
「あなたのような生き仏は、色情のことはなんにもお考えになりますまいな」
「久しく修業を積んでいますから、心は地に落ちたる絮《わた》の如くでござる」と、僧は答えた。
 劉はいよいよ戯《たわむ》れるように言った。
「それでは、ここであなたの道心を試みて、いよいよ諸人の信仰を高めさせて見たいものです」
 そこで美しい遊女や、男色《なんしょく》を売る少年や、十人あまりを択《え》りあつめて、僧のまわりに茵《しとね》をしき、枕をならべさせて、その淫楽をほしいままにさせると、僧は眉をも動かさず、かたわらに人なきがごとくに談笑自若としていたが、時を経るにつれて眼をそむけて、遂にその眼をまったく瞑《と》じた。
 その隙《すき》をみて、劉は剣をぬいたかと思うと、僧の首はころりと床に落ちた。

   鬼影

 泉《せん》州の人が或る夜、ともしびの前で自分の影をみかえると、壁に映っているのは自分の形でなかった。
 不思議に思ってよく視ると、大きい首に長い髪が乱れかかって、手足は鳥の爪のように曲がって尖っている。その影はたしかに一種の鬼であった。しかも、その怪しい影は自分の形に伴っていて、自分の動く通りに動いているのである。大いにおどろいて家内の者を呼びあつめると、その影は誰の眼にも怪しく見えるのであった。
 それが毎晩つづくので、その人も怖ろしくなった。家内の者もみな懼《おそ》れた。しかしその子細は判らないので、唯いたずらに憂い懼れていると、となりに住んでいる塾の先生が言った。
「すべての妖はみずから興《おこ》るのでなく、人に因って興るのである。あなたは人に知られない悪念を懐《いだ》いているので、その心の影が羅刹《らせつ》となって現われるのではあるまいか」
 その人は慄然《りつぜん》として、先生の前に懴悔《ざんげ》した。
「実はわたくしは或る人に恨みを含んでいるので、近いうちにその一家をみな殺しにして、ここを逃げ去って、賊徒の群れに投じようかと考えていたところでした。今のお話でわたくしも怖ろしくなりました。そんな企ては断然やめます」
 その晩から彼の影は元の形に復《かえ》った。

   茉莉花

 ※[#「門<虫」、第3水準1−93−49]中《みんちゅう》の或る人の娘はまだ嫁入りをしないうちに死んだ。それを葬ること式《かた》のごとくであった。
 それから一年ほど過ぎた後、その親戚の者がとなりの県で、彼女とおなじ女を見た。その顔かたちから声音《こわね》までが余りによく肖《に》ているので、不意にその幼な名を呼びかけると、彼女は思わず振り返ったが、又もや足を早めて立ち去った。
 親戚は郷里へ帰ってそれを報告したので、両親も怪しんで娘の塚をあけてみると、果たして棺のなかは空《から》になっていた。そこで、そのありかを尋《たず》ねてゆくと、女は両親を識らないと言い張っていたが、その腋《わき》の下に大きい痣《あざ》があるのが証拠となって、彼女はとうとう恐れ入った。その相手の男をたずねると、もうどこへか姿をかくしていた。
 だんだんその事情を取調べると、※[#「門<虫」、第3水準1−93−49]中には茉莉花《まつりか》を飲めば仮死するという伝説がある。茉莉花の根を磨《す》って、酒にまぜ合わせて飲むのである。根の長さ一寸を用ゆれば、仮死すること一日にして蘇生する。六、七寸を用ゆれば、仮死すること数日にしてなお蘇生することが出来る。七寸以上を用ゆれば、本当に死んでしまうのである。かの娘はすでに約束の婿がありながら、他の男と情を通じたので、男と相談の上で茉莉花を用い、そら死にをして一旦《いったん》葬られた後に、男が棺をあばいて連れ出したものであることが判った。男もやがて捕われたが、その申し立ては娘と同様であった。
 ※[#「門<虫」、第3水準1−93−49]の県官|呉林塘《ごりんとう》という人がそれを裁判したが、棺をあばいた罪に照らそうとすれば、その人は死んでいないのである。薬剤をもって子女を惑わしたという罪に問おうとすれば、娘も最初から共謀である。さりとて、財物を奪ったとか、拐引《かどわかし》を働いたとかいうのでもない。結局、その娘も男も姦通《かんつう》の罪に処せられることになった。

   仏陀の示現

 景城《けいじょう》の南に古寺があった。あたりに人家もなく、その寺に住職と二人の徒弟《とてい》が住んでいたが、いずれもぼんやりした者どもで、わずかに仏前に香火を供うるのほかには能がないように見られた。
 しかも彼等はなかなかの曲者《くせもの》で、ひそかに松脂《まつやに》を買って来て、それを粉にして練りあわせ、紙にまいて火をつけて、夜ちゅうに高く飛ばせると、その火のひかりは四方を照らした。それを望んで村民が駈けつけると、住職も徒弟も戸を閉じて熟睡していて、なんにも知らないというのである。
 又あるときは、戯場《しばい》で用いる仏衣を買って来て、菩薩や羅漢の形をよそおい、月の明るい夜に家根の上に立ったり、樹の蔭にたたずんだりする事もある。それを望んで駈け付けると、やはりなんにも知らないというのである。或る者がその話をすると、住職らは合掌して答えた。
「飛んでもないことを仰しゃるな。み仏は遠い西の空にござる。なんでこんな田舎の破寺《やれでら》に示現《じげん》なされましょうぞ。お上《かみ》ではただいま白蓮教《びゃくれんきょう》をきびしく禁じていられます。そんな噂がきこえると、われわれもその邪教をおこなう者と見なされて、どんなお咎《とが》めを蒙《こうむ》るかも知れません。お前方もわれわれに恨みがある訳でもござるまいに、そんなことを無暗に言い触らして、われわれに迷惑をかけて下さるな」
 いかにも殊勝な申し分であるので、諸人はいよいよ仏陀の示現と信じるようになって、檀家の布施《ふせ》や寄進《きしん》が日ましに多くなった。それに付けても、寺があまりに荒れ朽ちているので、その修繕を勧める者があると、僧らは、一本の柱、一枚の瓦を換えることをも承知しなかった。
「ここらの人はとかくにあらぬことを言い触らす癖があって、後光《ごこう》がさしたの、菩薩があらわれたのと言う。その矢さきに堂塔などを荘厳《そうごん》にいたしたら、それに就いて又もや何を言い出すか判らない。どなたが寄進して下さるといっても、寺の修繕などはお断わり申します」
 こういうふうであるから、諸人の信仰はいや増すばかりで、僧らは十余年のあいだに大いなる富を作ったが、又それを知っている賊徒があって、ある夜この寺を襲って師
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