弟三人を殺し、貯蓄の財貨をことごとく掠《かす》めて去った。役人が来て検視の際に、古い箱のなかから戯場《しばい》の衣裳や松脂の粉を発見して、ここに初めてかれらの巧みが露顕したのであった。
これは明《みん》の崇禎《すうてい》の末年のことである。
強盗
斉大《せいだい》は献県の地方を横行する強盗であった。
あるとき味方の者を大勢《おおぜい》連れて或る家へ押し込むと、その家の娘が美婦《びふ》であるので、賊徒は逼《せま》ってこれを汚《けが》そうとしたが、女がなかなか応じないので、かれらは女をうしろ手にくくりあげた。そのとき斉大は家根に登って、近所の者や捕手の来るのを見張っていたが、女の泣き叫ぶ声を聞きつけて、降りて来てみるとこの体《てい》たらくである。彼は刃をぬいてその場に跳《おど》り込んだ。
「貴様らは何でそんなことをする。こうなれば、おれが相手だぞ」
餓えたる虎のごとき眼を晃《ひか》らせて、彼はあたりを睨みまわしたので、賊徒は恐れて手を引いて、女の節操は幸いに救われた。
その後に、この賊徒の一群はみな捕えられたが、ただその頭領の斉大だけは不思議に逃がれた。賊徒の申し立てによれば、逮捕の当時、斉大はまぐさ桶《おけ》の下に隠れていたというのであるが、捕手らの眼にはそれが見えなかった。まぐさ桶の下には古い竹束が転がっていただけであった。
張福の遺書
張福《ちょうふく》は杜林鎮《とりんちん》の人で、荷物の運搬を業としていた。ある日、途中で村の豪家の主人に出逢ったが、たがいに路を譲らないために喧嘩をはじめて、豪家の主人は従僕に指図して張を石橋の下へ突き落した。あたかも川の氷が固くなって、その稜《かど》は刃のように尖っていたので、張はあたまを撃ち割られて半死半生になった。
村役人は平生からその豪家を憎んでいたので、すぐに官《かん》に訴えた。官の役人も相手が豪家であるから、この際いじめつけてやろうというので、その詮議が甚だ厳重になった。そのときに重態の張はひそかに母を豪家へつかわして、こう言わせた。
「わたしの代りにあなたの命を取っても仕方がありません。わたしの亡い後に、老母や幼な児の世話をして下さるというならば、わたしは自分の粗相《そそう》で滑り落ちたと申し立てます」
豪家では無論に承知した。張はどうにか文字の書ける男であるので、その通りに書き残して死んだ。何分にも本人自身の書置きがあって、豪家の無罪は証明されているのであるから、役人たちもどうすることも出来ないで、この一件は無事に落着《らくぢゃく》した。
張の死んだ後、豪家も最初は約束を守っていたが、だんだんにそれを怠るようになったので、張の老母は怨み憤って官に訴えたが、張が自筆の生き証拠がある以上、今更この事件の審議をくつがえす事は出来なかった。
しかもその豪家の主人は、ある夜、酒に酔ってかの川べりを通ると、馬がにわかに駭《おどろ》いたために川のなかへ転げ落ちて、あたかも張とおなじ場所で死んだ。
知る者はみな張に背いた報いであると言った。世の訴訟事件には往々《おうおう》こうした秘密がある。獄を断ずる者は深く考えなければならない。
飛天夜叉
烏魯木斉《ウロボクセイ》は新疆《しんきょう》の一地方で、甚だ未開|辺僻《へんぺき》の地である(筆者、紀暁嵐は曾《かつ》てこの地にあったので、烏魯木斉地方の出来事をたくさんに書いている)。その把総《はそう》(軍官で、陸軍|少尉《しょうい》の如きものである)を勤めている蔡良棟《さいりょうとう》が話した。
この地方が初めて平定した時、四方を巡回して南山の深いところへ分け入ると、日もようやく暮れかかって来た。見ると、渓《たに》を隔てた向う岸に人の影がある。もしや瑪哈沁《ひょうはしん》(この地方でいう追剥《おいは》ぎである)ではないかと疑って、草むらに身をひそめて窺うと、一人の軍装をした男が磐石の上に坐って、そのそばには相貌|獰悪《どうあく》の従卒が数人控えている。なにか言っているらしいが、遠いのでよく聴き取れない。
やがて一人の従卒に指図して、石の洞《ほら》から六人の女をひき出して来た。女はみな色の白い、美しい者ばかりで、身にはいろいろの色彩《いろどり》のある美服を着けていたが、いずれも後ろ手にくくり上げられて恐るおそるに頭《かしら》を垂れてひざまずくと、石上の男はかれらを一人ずつ自分の前に召し出して、下衣《したぎ》を剥《ぬ》がせて地にひき伏せ、鞭《むち》をあげて打ち据えるのである。打てば血が流れ、その哀号《あいごう》の声はあたりの森に木谺《こだま》して、凄惨実に譬《たと》えようもなかった。
その折檻が終ると、男は従卒と共にどこへか立ち去った。女どもはそれを見送り果てて、いずれも泣く泣く元の洞へ帰って行った。男は何者であるか、女は何者であるか、もとより判らない。一行のうちに弓をよく引く者があったので、向う岸の立ち木にむかって二本の矢を射込んで帰った。
あくる日、廻り路をして向う岸へ行き着いて、きのうの矢を目じるしに捜索すると、石の洞門は塵《ちり》に封じられていた。松明《たいまつ》をとって進み入ると、深さ四丈ばかりで行き止まりになってしまって、他には抜け路もないらしく、結局なんの獲《う》るところもなしに引き揚げて来た。
蔡はこの話をして、自分が烏魯木斉にあるあいだに目撃した奇怪の事件は、これをもって第一とすると言った。わたしにも判らないが、太平広記に、天人が飛天夜叉《ひてんやしゃ》を捕えて成敗する話が載せてある。飛天夜叉は美女である。蔡の見たのも或いはこの夜叉のたぐいであるかも知れない。
喇嘛教
喇嘛教《らまきょう》には二種あって、一を黄教といい、他を紅教といい、その衣服をもって区別するのである。黄教は道徳を講じ、因果を明らかにし、かの禅家《ぜんけ》と派を異《こと》にして源を同じゅうするものである。
但し紅教は幻術《げんじゅつ》を巧みにするものである。理藩院《りはんいん》の尚書を勤める留《りゅう》という人が曾て西蔵《ちべっと》に駐在しているときに、何かの事で一人の紅教喇嘛に恨まれた。そこで、或る人が注意した。
「彼は復讐をするかも知れません。山登りのときには御用心なさい」
留は山へ登るとき、輿や行列をさきにして、自分は馬に乗って後から行くと、果たして山の半腹に至った頃に、前列の馬が俄かに狂い立って、輿をめちゃめちゃに踏みこわした。輿は無論に空《から》であった。
また、烏魯木斉に従軍の当時、軍士のうちで馬を失った者があった。一人の紅教喇嘛が小さい木の腰掛けをとって、なにか暫く呪文を唱えていると、腰掛けは自然にころころと転がり始めたので、その行くさきを追ってゆくと、ある谷間《たにあい》へ行き着いて、果たしてそこにかの馬を発見した。これは著者が親しく目撃したことである。
案ずるに、西域《せいいき》に刀を呑み、火を呑むたぐいの幻術を善くする者あることは、前漢時代の記録にも見えている。これも恐らくそれらの遺術を相伝したもので、仏氏の正法《しょうほう》ではない。それであるから、黄教の者は紅教徒を称して、あるいは魔といい、あるいは波羅門《ばらもん》という。すなわち仏経にいわゆる邪魔外道《じゃまげどう》である。けだし、そのたぐいであろう。
滴血
晋《しん》の人でその資産を弟に托《たく》して、久しく他郷《たきょう》に出商いをしている者があった。旅さきで妻を娶《めと》って一人の子を儲けたが、十年あまりの後に妻が病死したので、その子を連れて故郷へ帰って来た。
兄が子を連れて帰った以上、弟はその資産をその子に譲り渡さなければならないので、その子は兄の実子でなく、旅さきの妻が他人の種を宿して生んだものであるから、異姓の子に資産を譲ることは出来ないと主張した。それが一種の口実《こうじつ》であることは大抵想像されているものの、何分にも旅さきの事といい、その妻ももう此の世にはいないので、事実の真偽を確かめるのがむずかしく、たがいに捫着《もんちゃく》をかさねた末に、官へ訴えて出ることになった。
官の力で調査したらば、弟の申し立てが嘘か本当かを知ることが出来たかも知れないが、役人らはいたずらに古法を守って、滴血《てきけつ》をおこなうことにした。兄の血と、その子の血とを一つ器《うつわ》にそそぎ入れて、それが一つに融け合うかどうかを試したのである。幸いにその血が一つに合ったので、裁判は直ちに兄側の勝訴となって、弟は笞《むちう》って放逐するという宣告を受けた。
しかし弟は、滴血などという古風の裁判を信じないと言った。彼は自分にも一人の子があるので、試みにその血をそそいでみると、かれらの血は一つに合わなかった。彼はそれを証拠にして、現在、父子《おやこ》すらもその血が一つに合わないのであるから、滴血などをもって裁判をくだされては甚だ迷惑であると、逆捻《さかね》じに上訴した。彼としては相当の理屈もあったのであろうが、不幸にして彼は周囲の人びとから憎まれていた。
「あの父子の血が一つに寄らないのは当り前だ。あの男の女房は、ほかの男と姦通しているのだ」
この噂が官にきこえて、その妻を拘引して吟味すると、果たしてそれが事実であったので、弟は面目を失って、妻を捨て、子を捨てて、どこへか夜逃げをしてしまった。その資産はとどこおりなく兄に引き渡された。
由来、滴血のことは遠い漢代から伝えられているが、経験ある老吏について著者の聞いたところに拠ると、親身の者の血が一つに合うのは事実である。しかし冬の寒い時に、その器《うつわ》を冷やして血をそそぐか、あるいは夏の暑いときに、塩と酢をもってその器を拭いた上で血をそそぐと、いずれもその血が別々に凝結して一つに寄り合わない。そういう特殊の場合がいろいろあるから、迂闊に滴血などを信ずるのは危険であると、彼は説明した。
成程そうであろうと思われる。しかしこの場合、もし滴血をおこなわなければ、弟はおそらく上訴しなかったであろう。弟が上訴しなければ、その妻の陰事《いんじ》は摘発されなかったであろう。妻の陰事が露顕しなければ、この裁判はいつまでも落着《らくぢゃく》しなかったであろう。こうなると、あながちに役人の不用意を咎めるわけにも行かない。そのあいだには何か自然の約束があるようにも思われるではないか。
不思議な顔
蒙陰《もういん》の劉生《りゅうせい》がある時その従弟《いとこ》の家に泊まった。いろいろの話の末に、この頃この家には一種の怪物があらわれる。出没常ならず、どこに潜んでいるか判らないが、暗闇で出逢うと人を突き仆《たお》すのである。そのからだの堅きこと鉄石のごとくであると、家内の者が語った。
劉は猟《かり》を好んで、常に鉄砲を持ちあるいているので、それを聞いて笑った。
「よろしい。その怪物が出て来たらば、この鉄砲で防ぎます」
書斎は三間になっているので、彼はその東の室《へや》で寝ることにした。燈火《ともしび》にむかって独りで坐っていると、西の室から何者か現われて立った。その五体は人の如くであるが、その顔が頗る不思議で、眼と眉とのあいだは二寸ぐらいも距《はな》れているにも拘らず、鼻と口とはほとんど一つに付いているばかりか、その位置も妙に曲がっていた。顔の輪郭もまたゆがんでいる。よく見ると、不思議というよりも頗る滑稽な顔ではあるが、なにしろ一種の怪物には相違ないと見て、劉はすぐに鉄砲をとって窺うと、かれは慌てて室内へ退いて、扉のあいだから半面を出して窺っているのである。
劉が鉄砲をおろすと、彼はそろそろ出かかる。劉がふたたび鉄砲をむけると、彼はまた隠れる。そんなことを幾たびも繰り返しているうちに、彼はたちまち顔の全面をあらわして、舌を吐き、手を振って、劉を嘲《あざけ》るかのようにも見えたので、急に一発を射撃すると、弾《たま》は扉にあたって怪物の姿は隠れた。
劉は窓格子のあいだに鉄砲を伏せて、再びその現われるのを待っていると、彼はふたたび出て来て弾にあ
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