いたとかいうのでもない。結局、その娘も男も姦通《かんつう》の罪に処せられることになった。
仏陀の示現
景城《けいじょう》の南に古寺があった。あたりに人家もなく、その寺に住職と二人の徒弟《とてい》が住んでいたが、いずれもぼんやりした者どもで、わずかに仏前に香火を供うるのほかには能がないように見られた。
しかも彼等はなかなかの曲者《くせもの》で、ひそかに松脂《まつやに》を買って来て、それを粉にして練りあわせ、紙にまいて火をつけて、夜ちゅうに高く飛ばせると、その火のひかりは四方を照らした。それを望んで村民が駈けつけると、住職も徒弟も戸を閉じて熟睡していて、なんにも知らないというのである。
又あるときは、戯場《しばい》で用いる仏衣を買って来て、菩薩や羅漢の形をよそおい、月の明るい夜に家根の上に立ったり、樹の蔭にたたずんだりする事もある。それを望んで駈け付けると、やはりなんにも知らないというのである。或る者がその話をすると、住職らは合掌して答えた。
「飛んでもないことを仰しゃるな。み仏は遠い西の空にござる。なんでこんな田舎の破寺《やれでら》に示現《じげん》なされましょうぞ。お上《かみ》ではただいま白蓮教《びゃくれんきょう》をきびしく禁じていられます。そんな噂がきこえると、われわれもその邪教をおこなう者と見なされて、どんなお咎《とが》めを蒙《こうむ》るかも知れません。お前方もわれわれに恨みがある訳でもござるまいに、そんなことを無暗に言い触らして、われわれに迷惑をかけて下さるな」
いかにも殊勝な申し分であるので、諸人はいよいよ仏陀の示現と信じるようになって、檀家の布施《ふせ》や寄進《きしん》が日ましに多くなった。それに付けても、寺があまりに荒れ朽ちているので、その修繕を勧める者があると、僧らは、一本の柱、一枚の瓦を換えることをも承知しなかった。
「ここらの人はとかくにあらぬことを言い触らす癖があって、後光《ごこう》がさしたの、菩薩があらわれたのと言う。その矢さきに堂塔などを荘厳《そうごん》にいたしたら、それに就いて又もや何を言い出すか判らない。どなたが寄進して下さるといっても、寺の修繕などはお断わり申します」
こういうふうであるから、諸人の信仰はいや増すばかりで、僧らは十余年のあいだに大いなる富を作ったが、又それを知っている賊徒があって、ある夜この寺を襲って師弟三人を殺し、貯蓄の財貨をことごとく掠《かす》めて去った。役人が来て検視の際に、古い箱のなかから戯場《しばい》の衣裳や松脂の粉を発見して、ここに初めてかれらの巧みが露顕したのであった。
これは明《みん》の崇禎《すうてい》の末年のことである。
強盗
斉大《せいだい》は献県の地方を横行する強盗であった。
あるとき味方の者を大勢《おおぜい》連れて或る家へ押し込むと、その家の娘が美婦《びふ》であるので、賊徒は逼《せま》ってこれを汚《けが》そうとしたが、女がなかなか応じないので、かれらは女をうしろ手にくくりあげた。そのとき斉大は家根に登って、近所の者や捕手の来るのを見張っていたが、女の泣き叫ぶ声を聞きつけて、降りて来てみるとこの体《てい》たらくである。彼は刃をぬいてその場に跳《おど》り込んだ。
「貴様らは何でそんなことをする。こうなれば、おれが相手だぞ」
餓えたる虎のごとき眼を晃《ひか》らせて、彼はあたりを睨みまわしたので、賊徒は恐れて手を引いて、女の節操は幸いに救われた。
その後に、この賊徒の一群はみな捕えられたが、ただその頭領の斉大だけは不思議に逃がれた。賊徒の申し立てによれば、逮捕の当時、斉大はまぐさ桶《おけ》の下に隠れていたというのであるが、捕手らの眼にはそれが見えなかった。まぐさ桶の下には古い竹束が転がっていただけであった。
張福の遺書
張福《ちょうふく》は杜林鎮《とりんちん》の人で、荷物の運搬を業としていた。ある日、途中で村の豪家の主人に出逢ったが、たがいに路を譲らないために喧嘩をはじめて、豪家の主人は従僕に指図して張を石橋の下へ突き落した。あたかも川の氷が固くなって、その稜《かど》は刃のように尖っていたので、張はあたまを撃ち割られて半死半生になった。
村役人は平生からその豪家を憎んでいたので、すぐに官《かん》に訴えた。官の役人も相手が豪家であるから、この際いじめつけてやろうというので、その詮議が甚だ厳重になった。そのときに重態の張はひそかに母を豪家へつかわして、こう言わせた。
「わたしの代りにあなたの命を取っても仕方がありません。わたしの亡い後に、老母や幼な児の世話をして下さるというならば、わたしは自分の粗相《そそう》で滑り落ちたと申し立てます」
豪家では無論に承知した。張はどうにか文字の書ける男であるので、その通りに書き残し
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