欠」、第3水準1−86−31]待《かんたい》したが、日を経るにしたがって彼はだんだんに増長して、傲慢無礼《ごうまんぶれい》の振舞いがたびかさなるので、鄭成功もしまいには堪えられなくなって来た。且《かつ》かれは清国の間牒《かんちょう》であるという疑いも生じて来たので、いっそ彼を殺してしまおうと思ったが、前にもいう通り、彼は武芸に達している上に、一種の不死身《ふじみ》のような妖僧であるので、迂闊に手を出すことを躊躇《ちゅうちょ》していると、その大将の劉国軒《りゅうこくけん》が言った。
「よろしい。その役目はわたくしが勤めましょう」
劉はかの僧をたずねて、冗談のように話しかけた。
「あなたのような生き仏は、色情のことはなんにもお考えになりますまいな」
「久しく修業を積んでいますから、心は地に落ちたる絮《わた》の如くでござる」と、僧は答えた。
劉はいよいよ戯《たわむ》れるように言った。
「それでは、ここであなたの道心を試みて、いよいよ諸人の信仰を高めさせて見たいものです」
そこで美しい遊女や、男色《なんしょく》を売る少年や、十人あまりを択《え》りあつめて、僧のまわりに茵《しとね》をしき、枕をならべさせて、その淫楽をほしいままにさせると、僧は眉をも動かさず、かたわらに人なきがごとくに談笑自若としていたが、時を経るにつれて眼をそむけて、遂にその眼をまったく瞑《と》じた。
その隙《すき》をみて、劉は剣をぬいたかと思うと、僧の首はころりと床に落ちた。
鬼影
泉《せん》州の人が或る夜、ともしびの前で自分の影をみかえると、壁に映っているのは自分の形でなかった。
不思議に思ってよく視ると、大きい首に長い髪が乱れかかって、手足は鳥の爪のように曲がって尖っている。その影はたしかに一種の鬼であった。しかも、その怪しい影は自分の形に伴っていて、自分の動く通りに動いているのである。大いにおどろいて家内の者を呼びあつめると、その影は誰の眼にも怪しく見えるのであった。
それが毎晩つづくので、その人も怖ろしくなった。家内の者もみな懼《おそ》れた。しかしその子細は判らないので、唯いたずらに憂い懼れていると、となりに住んでいる塾の先生が言った。
「すべての妖はみずから興《おこ》るのでなく、人に因って興るのである。あなたは人に知られない悪念を懐《いだ》いているので、その心の影が羅刹《らせつ》となって現われるのではあるまいか」
その人は慄然《りつぜん》として、先生の前に懴悔《ざんげ》した。
「実はわたくしは或る人に恨みを含んでいるので、近いうちにその一家をみな殺しにして、ここを逃げ去って、賊徒の群れに投じようかと考えていたところでした。今のお話でわたくしも怖ろしくなりました。そんな企ては断然やめます」
その晩から彼の影は元の形に復《かえ》った。
茉莉花
※[#「門<虫」、第3水準1−93−49]中《みんちゅう》の或る人の娘はまだ嫁入りをしないうちに死んだ。それを葬ること式《かた》のごとくであった。
それから一年ほど過ぎた後、その親戚の者がとなりの県で、彼女とおなじ女を見た。その顔かたちから声音《こわね》までが余りによく肖《に》ているので、不意にその幼な名を呼びかけると、彼女は思わず振り返ったが、又もや足を早めて立ち去った。
親戚は郷里へ帰ってそれを報告したので、両親も怪しんで娘の塚をあけてみると、果たして棺のなかは空《から》になっていた。そこで、そのありかを尋《たず》ねてゆくと、女は両親を識らないと言い張っていたが、その腋《わき》の下に大きい痣《あざ》があるのが証拠となって、彼女はとうとう恐れ入った。その相手の男をたずねると、もうどこへか姿をかくしていた。
だんだんその事情を取調べると、※[#「門<虫」、第3水準1−93−49]中には茉莉花《まつりか》を飲めば仮死するという伝説がある。茉莉花の根を磨《す》って、酒にまぜ合わせて飲むのである。根の長さ一寸を用ゆれば、仮死すること一日にして蘇生する。六、七寸を用ゆれば、仮死すること数日にしてなお蘇生することが出来る。七寸以上を用ゆれば、本当に死んでしまうのである。かの娘はすでに約束の婿がありながら、他の男と情を通じたので、男と相談の上で茉莉花を用い、そら死にをして一旦《いったん》葬られた後に、男が棺をあばいて連れ出したものであることが判った。男もやがて捕われたが、その申し立ては娘と同様であった。
※[#「門<虫」、第3水準1−93−49]の県官|呉林塘《ごりんとう》という人がそれを裁判したが、棺をあばいた罪に照らそうとすれば、その人は死んでいないのである。薬剤をもって子女を惑わしたという罪に問おうとすれば、娘も最初から共謀である。さりとて、財物を奪ったとか、拐引《かどわかし》を働
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