府を勤める楊景震《ようけいしん》が罪をえて軍台に謫戍《てきじゅ》の身となった。彼は古北の城楼に登ると、楼上に一つのあかがねの匣《はこ》があって、厳重に封鎖してある。伝うるところによれば、明《みん》代の総兵|戚継光《せきけいこう》の残して置いたもので、ここへ来た者がみだりに開いて看《み》てはならないというのである。
楊はしばらくその匣を撫でまわしていたが、やがて匣の上に震《しん》の卦《け》が金字で彫ってあるのを見いだして、彼は笑った。
「卦は震で、おれの名の震に応じている。これはおれが開くべきものだ」
遂にその匣の蓋をひらくと、たちまちにひと筋の火箭《ひや》が飛び出して、むこう側の景徳廟の正殿の柱に立った。それから火を発して、殿宇も僧房もほとんど焼け尽くした。
九尾蛇
茅八《ぼうはち》という者が若いときに紙を売って江西に入った。その土地の深山に紙廠《ししょう》が多かった。廠にいる人たちは、日が落ちかかると戸を閉じて外へ出ない。
「山の中には怖ろしい物が棲んでいる。虎や狼ばかりでない」
茅もそこに泊まっているうちに、ある夜の月がひどく冴え渡った。茅は眠ることが出来ないので、戸をあけて月を眺めたいと思ったが、おどされているので、再三躊躇した。しかも武勇をたのんで、思い切って出た。
行くこと数十歩ならず、たちまち数十の猴《さる》の群れが悲鳴をあげながら逃げて来て、大樹をえらんで攀《よ》じのぼったので、茅もほかの樹にのぼって遠くうかがっていると、一匹の蛇が林の中から出て来た。蛇は太い柱のごとく、両眼は灼々《しゃくしゃく》とかがやいている。からだの甲《こう》は魚鱗の如くにして硬く、腰から下に九つの尾が生えていて、それを曳いてゆく音は鉄の甲《よろい》のように響いた。
蛇は大樹の下に来ると、九つの尾を逆《さか》しまにしてくるくると舞った。尾の端《はし》には小さい穴がある。その穴から涎《よだれ》がはじくようにほとばしって、樹の上の猴を撃った。撃たれた猴は叫んで地に落ちると、その腹は裂けていた。蛇はしずかにその三匹を食らって、尾を曳いて去った。
茅は懼《おそ》れて帰った。その以来、彼も暗くなると表へ出なかった。
底本:「中国怪奇小説集」光文社文庫、光文社
1994(平成6)年4月20日初版1刷発行
※校正には、1999(平成11)年11月5日3刷を使用しました。
入力:tatsuki
校正:小林繁雄
2003年7月31日作成
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