中国怪奇小説集
子不語
岡本綺堂

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)清《しん》の

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)正直|律義《りちぎ》の人間であるので、

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)一羽の※[#「休+鳥」、第4水準2−94−14]※[#「留+鳥」、第4水準2−94−32]《きゅうりゅう》
−−

 第十四の男は語る。
「わたくしは随園戯編と題する『子不語』についてお話し申します。
 この作者は清《しん》の袁枚《えんばい》で、字《あざな》を子才《しさい》といい、号を簡斎《かんさい》といいまして、銭塘《せんとう》の人、乾隆《けんりゅう》年間の進士《しんし》で、各地方の知県をつとめて評判のよかった人でありますが、年四十にして官途を辞し、江寧《こうねい》の小倉山下に山荘を作って小倉山房《しょうそうさんぼう》といい、その庭園を随園と名づけましたので、世の人は随園先生と呼んで居りました。彼は詩文の大家で、種々の著作もあり、詩人としては乾隆四家の一人に数えられて居ります。
 子不語の名は『子《し》は怪力乱神を語らず』から出ていること勿論でありますが、後にそれと同名の書のあることを発見したというので、さらに『新斉諧《しんせいかい》』と改題しましたが、やはり普通には『子不語』の名をもって知られて居ります。なにしろ正編続編をあわせて三十四巻、一千十六種の説話を蒐集してあるという大作ですから、これから申し上げるのは、単にその片鱗に過ぎないものと御承知ください」

   老嫗《ろうおう》の妖

 清《しん》の乾隆二十年、都で小児が生まれると、驚風《きょうふう》(脳膜炎)にかかってたちまち死亡するのが多かった。伝えるところによると、小児が病いにかかる時、一羽の※[#「休+鳥」、第4水準2−94−14]※[#「留+鳥」、第4水準2−94−32]《きゅうりゅう》――一種の怪鳥《けちょう》で、形は鷹のごとく、よく人語をなすということである。――のような黒い鳥影がともしびの下を飛びめぐる。その飛ぶこといよいよ疾《はや》ければ、小児の苦しみあえぐ声がいよいよ急になる。小児の息が絶えれば、黒い鳥影も消えてしまうというのであった。
 そのうちに或る家の小児もまた同じ驚風にかかって苦しみ始めたが、その父の知人に鄂《がく》某というのがあった。かれは宮中の侍衛を勤める武人で、ふだんから勇気があるので、それを聞いて大いに怒った。
「怪しからぬ化け物め。おれが退治してくれる」
 鄂は弓矢をとって待ちかまえていて、黒い鳥がともしびに近く舞って来るところを礑《はた》と射ると、鳥は怪しい声を立てて飛び去ったが、そのあとには血のしずくが流れていた。それをどこまでも追ってゆくと、大司馬《たいしば》の役を勤める李《り》氏の邸に入り、台所の竈《かまど》の下へ行って消えたように思われたので、鄂はふたたび矢をつがえようとするところへ、邸内の者もおどろいて駈け付けた。主人の李公は鄂と姻戚の関係があるので、これも驚いて奥から出て来た。鄂が怪鳥を射たという話を聞いて、李公も不思議に思った。
「では、すぐに竈の下をあらためてみろ」
 人びとが打ち寄って竈のあたりを検査すると、そのそばの小屋に緑の眼をひからせた老女が仆《たお》れていた。
 老女は猿のような形で、その腰には矢が立っていた。しかし彼女は未見の人ではなく、李公が曾《かつ》て雲南《うんなん》に在ったときに雇い入れた奉公人であった。雲南地方の山地には苗《びょう》または※[#「けものへん+搖のつくり」、296−4]《よう》という一種の蛮族が棲んでいるが、老女もその一人で、老年でありながら能く働き、且《かつ》は正直|律義《りちぎ》の人間であるので、李公が都へ帰るときに家族と共に伴い来たったものである。それが今やこの怪異をみせたので、李氏の一家は又おどろかされた。老女は矢傷に苦しみながらも、まだ生きていた。
 だんだん考えてみると、彼女に怪しい点がないでもない。よほどの老年とみえながら、からだは甚だすこやかである。蛮地の生まれとはいいながら、自分の歳を知らないという。殊《こと》に今夜のような事件が出来《しゅったい》したので、主人も今更のようにそれを怪しんだ。あるいは妖怪が姿を変じているのではないかと疑って、厳重にかの女を拷問《ごうもん》すると、老女は苦しい息のもとで答えた。
「わたくしは一種の咒文《じゅもん》を知っていまして、それを念じると能く異鳥に化けることが出来ますので、夜のふけるのを待って飛び出して、すでに数百人の子供の脳を食いました」
 李公は大いに怒って、すぐにかの女をくくりあげ、薪を積んで生きながら焚《や》いてしまった。その以来、都に驚風を病む小児が絶えた。

   羅刹鳥《らせつちょう》

 これも鳥の妖である。清の雍正《ようせい》年間、内城の某家で息子のために※[#「女+息」、第4水準2−5−70]《よめ》を娶《めと》ることになった。新婦の里方《さとかた》も大家《たいけ》で、沙河門外に住んでいた。
 新婦は轎《かご》に乗せられ、供の者|大勢《おおぜい》は馬上でその前後を囲んで練《ね》り出して来る途中、一つの古い墓の前を通ると、俄かに旋風《つむじかぜ》のような風が墓のあいだから吹き出して、新婦の轎のまわりを幾たびかめぐったので、おびただしい沙《すな》は眼口を打って大勢もすこぶる辟易《へきえき》したが、やがてその風も鎮まって、無事に婿《むこ》の家へ行き着いた。
 轎はおろされて、介添えの女がすだれをかかげてかの新婦を連れ出すと、思いきや轎の内には又ひとりの女が坐っていた。それは年頃も顔かたちも風俗も、新婦と寸分ちがわない女で、みずから轎を出て来て、新婦と肩をならべて立った。それには人びとも驚かされたが、女は二人ながら口をそろえて、自分が今夜の花嫁であるという。その声音《こわね》までが同じであるので、婿の家も供の者も、どちらが真者《ほんもの》であるか偽者《にせもの》であるかを鑑別することが出来なくなった。さりとて今夜の婚儀を中止するわけにも行かなかったと見えて、ともかくも婿ひとりに※[#「女+息」、第4水準2−5−70]《よめ》ふたりという不思議な婚礼を済ませて、奉公人どもはめいめいの寝床へ退がった。
 舅《しゅうと》も自分の室《へや》へはいって枕に就いた。
 それから間もなく、新夫婦の寝間からけたたましい叫び声が洩れきこえたので、舅は勿論、家内一同がおどろいて駈け付けると、婿は寝床の外に倒れ、ひとりの※[#「女+息」、第4水準2−5−70]は床の上に倒れ、あたりにはなま血が淋漓《りんり》としてしたたっているので、人びとは又もや驚かされた。
 それにしても他のひとりの※[#「女+息」、第4水準2−5−70]はどうしたかと見まわすと、梁《はり》の上に一羽の大きい怪鳥《けちょう》が止まっていた。鳥は灰黒色の羽《はね》を持っていて、口喙《くちばし》は鈎《かぎ》のように曲がっていた。殊に目立つのはその大きい爪で、さながら雪のように白く光っていた。ひとりの女の正体がこれであるのは誰にも想像されることであるから、大勢は騒ぎ立てて捕えようとしたが、短い武器では高い梁の上までとどかないので、さらに弓矢や長い矛《ほこ》を持ち出して追い立てると、怪鳥は青い燐《おにび》のような眼をひからせ、大きい翅《つばさ》をはたはたと鳴らして飛びめぐった末に、門を破って逃げ去った。
 そこで、倒れている婿と※[#「女+息」、第4水準2−5−70]とを介抱して、事の子細を問いただすと、婿は血の流れる眼をおさえながら言った。
「寝間へはいったものの、※[#「女+息」、第4水準2−5−70]ふたりではどうすることも出来ないので、しばらく黙ってむかい合っているうちに、左側にいた女がたちまちに袖をあげてわたしの顔を払ったかと思うと、両の眼玉は抉《く》り取られてしまった。その痛みの劇《はげ》しさに悶絶して、その後のことはなんにも知らない」
 ※[#「女+息」、第4水準2−5−70]はまた言った。
「わたしは婿殿の悲鳴におどろいて、どうしたのかと思って覗こうとすると、その顔を不意に払われて倒れてしまいました」
 彼女も両眼を抉り取られているのであった。それでも二人とも命に別条がなかったのが嘆きのうちの喜びで、婿も※[#「女+息」、第4水準2−5−70]も厚い手当てを加えられて数月の後に健康の人となった。そうして、盲目同士の夫婦はむつまじく暮らした。
 怪鳥の正体はわからない。伝うるところによると、墓場などのあいだに太陰積尸《たいいんせきし》の気が久しく凝るときは化《け》して羅刹鳥《らせつちょう》となり、好んで人の眼を食らうというのである。

   平陽の令

 平陽《へいよう》の令《れい》を勤めていた朱鑠《しゅれき》という人は、その性質甚だ残忍で、罪人を苦しめるために特に厚い首枷《くびかせ》や太い棒を作らせたという位である。殊に婦女の罪案については厳酷をきわめ、そのうちでも妓女《ぎじょ》に対しては一糸を着けざる赤裸《あかはだか》にして、その身体《からだ》じゅうを容赦なく打ち据えるばかりか、顔の美しい者ほどその刑罰を重くして、その髪の毛をくりくり坊主に剃《そ》り落すこともあり、甚だしきは小刀をもって鼻の孔をえぐったりすることもあった。
「こうして世の道楽者を戒《いまし》めるのである。美人の美を失わしむれば、自然に妓女などというものは亡びてしまうことになる。しかも色を見て動かざる鉄石心を有した者でなければ、容易にそれを実行することは出来ない」と、彼は常に人に誇っていた。
 そのうちに任期が満ちて、彼は山東《さんとう》の別駕《べつが》に移されたので、家族を連れて新任地へ赴く途中、荏平《じんへい》という所の旅館に行き着いた。その旅館には一つの楼があって、厳重に扉を封鎖してあるので、彼は宿の主人に子細《しさい》をたずねると、楼中にはしばしば怪しいことがあるので、多年開かないのであると答えた。それを聞いて、彼はあざ笑った。
「それではおれをあの楼に泊めてくれ」
「お泊まりになりますか」
「なんの怖いことがあるものか。おれの威名を聞けば、大抵の化け物は向うから退却してしまうに決まっているのだ」
 それでも主人は万一を気づかってさえぎった。彼の妻子らもしきりに諫めた。しかも強情我慢の彼はどうしても肯《き》かないのである。
「おまえ達はほかの部屋に寝ろ。おれはどうしてもあの楼に一夜を明かすのだ」
 あくまでも強情を張り通して、彼は妻子|眷族《けんぞく》を別室に宿らせ、自分ひとりは剣を握り、燭《しょく》をたずさえ、楼に登って妖怪のあらわれるのを待っていると、宵のうちには別に何事もなかったが、夜も三更《さんこう》(午後十一時―午前一時)に至る時、扉をたたいて進み入ったのは、白い鬚《ひげ》を垂れて紅い冠《かんむり》をかぶった老人で、朱鑠を仰いでうやうやしく一揖《いちゆう》した。
「貴様はなんの化け物だ」と、朱は叱り付けた。
「それがしは妖怪ではござらぬ。このあたりの土地の神でござる。あなたのような貴人がここへお出でになったのは、まさに妖怪どもが殲滅《せんめつ》の時節到来いたしたものと思われます。それゆえ喜んでお出迎いに罷《まか》り出でました」
 老人はまず自分の身の上を明かした後に、朱にむかって斯《こ》ういうことを頼んだ。
「もう暫くお待ちになると、やがて妖怪があらわれて参ります。その姿が見えましたならば、その剣をぬいて片端からお斬り捨てください。及ばずながらそれがしも御助力いたします」
「よし、よし、承知した」と、朱は喜んで引き受けた。
「なにぶんお願い申します」
 約束を固めて老人は立ち去った。朱は剣を按じて、さあ来いと待ちかまえていると、果たして青い面《かお》の者、白い面の者、種々の怪しい者がつづいてこの室内に入り込んで来たので、彼
次へ
全4ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング