しかも色を見て動かざる鉄石心を有した者でなければ、容易にそれを実行することは出来ない」と、彼は常に人に誇っていた。
そのうちに任期が満ちて、彼は山東《さんとう》の別駕《べつが》に移されたので、家族を連れて新任地へ赴く途中、荏平《じんへい》という所の旅館に行き着いた。その旅館には一つの楼があって、厳重に扉を封鎖してあるので、彼は宿の主人に子細《しさい》をたずねると、楼中にはしばしば怪しいことがあるので、多年開かないのであると答えた。それを聞いて、彼はあざ笑った。
「それではおれをあの楼に泊めてくれ」
「お泊まりになりますか」
「なんの怖いことがあるものか。おれの威名を聞けば、大抵の化け物は向うから退却してしまうに決まっているのだ」
それでも主人は万一を気づかってさえぎった。彼の妻子らもしきりに諫めた。しかも強情我慢の彼はどうしても肯《き》かないのである。
「おまえ達はほかの部屋に寝ろ。おれはどうしてもあの楼に一夜を明かすのだ」
あくまでも強情を張り通して、彼は妻子|眷族《けんぞく》を別室に宿らせ、自分ひとりは剣を握り、燭《しょく》をたずさえ、楼に登って妖怪のあらわれるのを待っている
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