んにち》までにすでに幾万貫の銭を儲けたであろう。何をいうにも口を利くことが出来ないので、おめおめと彼に引き廻されているのである。
これを書き終って、熊はわが口を指さして、血の涙を雨のごとくに流した。
観るひと大いにおどろいて、その書いたものを証拠に訴え出ると、飼い主の乞食はすぐに捕われて、すべてその通りであると白状したので、かれは立ちどころに杖殺され、狗熊の金汝利は長沙の故郷へ送り還された。
人魚
著者の甥の致華《ちか》という者が淮南《わいなん》の分司となって、四川《しせん》の※[#「くさかんむり/(止+(自/儿)+氾のつくり)/夂」、312−2]州《きしゅう》城を過ぎると、往来の人びとが何か気ちがいのように騒ぎ立っている。その子細《しさい》をきくと、或る村民の妻|徐氏《じょし》というのは平生から非常に夫婦仲がよかったが、昨夜も夫とおなじ床に眠って、けさ早く起きると、彼女のすがたは著るしく変っていた。
徐氏の顔や髪や肌の色はすべて元のごとくであるが、その下半身がいつか魚に変ってしまったのである。乳から下には鱗《うろこ》が生えてなめらかになまぐさく、普通の魚と同様であるので、夫もただ驚くばかりで、どうする術《すべ》も知らなかった。妻は泣いて語った。
「ゆうべ寝る時分には別に何事もなく、ただ下半身がむず痒《かゆ》いので、それを掻くとからだの皮が次第に逆立って来たようですから、おそらく痺癬《ひぜん》でも出来たのだろうかと思っていました。すると、五更《ごこう》ののちから両脚が自然に食っ付いてしまって、もう伸ばすことも縮めることも出来なくなりました。撫でてみると、いつの間にか魚の尾になっているのです。まあ、どうしたらいいでしょう」
夫婦はただ抱き合って泣くばかりであるという。
致華はその話を聞いて、試みに供の者を走らせて実否《じっぷ》を見とどけさせると、果たしてそれは事実であると判った。但し致華は官用の旅程を急ぐ身の上で、そのまま出発してしまったために、人魚ともいうべき徐氏をどう処分したか、彼女を魚として河へ放すことにしたか、あるいは人として家に養って置くことにしたか、それらの結末を知ることが出来なかったそうである。
金鉱の妖霊
乾※[#「鹿/几」、313−3]子《かんきし》というのは、人ではない。人の死骸の化《け》したるもの、すなわち前に書いた僵尸《きょうし》のたぐいである。雲南地方には金鉱が多い。その鉱穴に入った坑夫のうちには、土に圧されて生き埋めになって、あるいは数十年、あるいは百年、土気と金気に養われて、形骸はそのままになっている者がある。それを乾※[#「鹿/几」、313−6]子と呼んで、普通にはそれを死なない者にしているが、実は死んでいるのである。
死んでいるのか、生きているのか、甚だあいまいな乾※[#「鹿/几」、313−8]子なるものは、時どきに土のなかから出てあるくと言い伝えられている。鉱内は夜のごとくに暗いので、穴に入る坑夫は額《ひたい》の上にともしびをつけて行くと、その光りを見てかの乾※[#「鹿/几」、313−10]子の寄って来ることがある。かれらは人を見ると非常に喜んで、烟草《たばこ》をくれという。烟草をあたえると、立ちどころに喫ってしまって、さらに人にむかって一緒に連れ出してくれと頼むのである。その時に坑夫はこう答える。
「われわれがここへ来たのは金銀を求めるためであるから、このまま手をむなしゅうして帰るわけにはゆかない。おまえは金の蔓《つる》のある所を知っているか」
かれらは承知して坑夫を案内すると、果たしてそこには大いなる金銀を見いだすことが出来るのである。そこで帰るときには、こう言ってかれらを瞞《だま》すのを例としている。
「われわれが先ず上がって、それからお前を籃《かご》にのせて吊りあげてやる」
竹籃にかれらを入れて、縄をつけて中途まで吊りあげ、不意にその縄を切り放すと、かれらは土の底に墜ちて死ぬのである。ある情けぶかい男があって、瞞《だま》すのも不憫だと思って、その七、八人を穴の上まで正直に吊りあげてやると、かれらは外の風にあたるや否や、そのからだも着物も見る見る融《と》けて水となった。その臭いは鼻を衝くばかりで、それを嗅いだ者はみな疫病にかかって死んだ。
それに懲りて、かれらを入れた籃は必ず途中で縄を切って落すことになっている。最初から連れて行かないといえば、いつまでも付きまとって離れないので、いつもこうして瞞すのである。但しこちらが大勢で、相手が少ないときには、押えつけ縛りあげて土壁に倚《よ》りかからせ、四方から土をかけて塗り固めて、その上に燈台を置けば、ふたたび祟りをなさないと言い伝えられている。
それと反対に、こちらが小人数で、相手が多数のときは、死ぬま
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