しろと責めた。
「勿論のことでございます」と、役人は答えた。「しかし、あまり奇怪の出来事でございますから、一カ月間の御猶予をねがいまして、そのあいだにその秘密を探り出したいと思います。わたくしが逃げ隠れをしない証拠には、妻や子を人質に残してまいります」
 中丞もそれを許したので、役人は再びかの古廟の付近へ行きむかって、種々に手を尽くして穿索《せんさく》したが、遂にその端緒を探り出し得ないので、もう思い切って帰ろうかと思案しながら、付近の町をぼんやりと歩いていると、町のまんなかで盲目の老人に逢った。
 なんでも判らないことがあらば御相談なさい。――こういう牌《ふだ》がその老人の胸にかけてあった。物は試《ため》しであると思ったので、役人は彼をよび止めて相談すると、老人は訊いた。
「あなたの失った金は幾らです」
「三千金です」
「それならば大抵こころ当りがあります。わたしと一緒においでなさい」
 老人は先に立って案内した。最初の一日は人家のある村つづきであったが、それから先は深山へはいって、どこをどう辿ったのか判らなかったが、ともかくも第三日の午《ひる》頃に大きい賑やかな町へ行き着いた。と思うと、たちまち一人の男が来て役人に声をかけた。
「あなたはここらの人と見えないが、なにしに来たのです」
 老人が代って説明すると、その男はうなずいて役人を案内して行った。そのうちに老人のすがたは見えなくなってしまったので、どうなることかと不安ながら付いてゆくと、大路小路を幾たびか折れ曲がって、堂々たる大邸宅の門内へ連れ込まれた。さらに奥の間へ案内されると、広い座敷のなかにはただひとつの榻《とう》を据えて、ひとりの偉丈夫《いじょうふ》が帽もかぶらず、靴も穿かずに、長い髪を垂れて休息していた。そのかたわらには五、六人の童子が扇を持って煽《あお》いでいた。役人は謹《つつし》んで自分の来意を訴えると、男は童子に頤《あご》で指図して金を運ばせて来た。見ると、それはさきに盗難に逢った金で、その封も元のままになっていた。
「この金が欲しいのか」と、男は訊いた。
「頂戴が出来れば結構でございますが……」と、役人は恐る恐る答えた。
「なにしろ疲れたろう。すこし休息するがよい」
 ひとりの男が彼をまた案内して、奥まったひと間へ連れ込み、一旦は扉をしめて立ち去ったが、やがて食事の時刻になると、立派な膳部を運んで来てくれた。それでも役人の不安はまだ去らないので、日の暮れ果てるのを待って、そっとうしろの戸をあけてあたりを窺うと、今夜は月の明るい宵で、そこらの壁のきわに何物かが累々《るいるい》と積み重ねてあるのが見える。よくよく透かして視ると、それはみな人間の鼻や耳であったので、役人は気が遠くなるほどに驚かされた。しかし容易に逃げ去るすべはあるまいと思われるので、ただおめおめと夜のあけるのを待っていると、彼は再び主人の男の前によび出された。男はやはりきのうの通りの姿で、彼にむかって言い渡した。
「あの金をおまえにやることは出来ない。しかしお前の迷惑にならないように、これをやる。持って帰って上官にみせろ」
 何か一枚の紙にかいた物をくれたので、役人は夢中でそれを受取ると、ひとりの男がまた彼を案内して、三日の後に元の場所まで送り帰してくれた。何がなんだか更にわからないので、役人はまだ夢をみているような心持で帰って来て、中丞にその次第を報告し、あわせてかの一紙をみせると、中丞は不思議そうに読んでいたが、たちまちにその顔色が変った。
 役人の妻子はすぐに人質をゆるされた。紛失の三千金もつぐなうには及ばぬと言い渡された。それで役人は大いに喜んだが、さてその一紙には何事がしるしてあったのか、その秘密はわからなかった。しかも後日になって、その書中には大略左のごときことが認《したた》めてあるのを洩れ聞いた。
 ――おまえは平生から官吏として賄賂をむさぼり、横領をほしいままにしている。その罪まことに重々である。就いては小役人などを責めて、償いの金を徴収するな。さもなければ、何月何日の夜半に、おまえの妻の髪の毛が何寸切られていたか、よく検《あらた》めてみろ――
 中丞が顔の色を変えて恐れたのも無理はなかった。彼の妻は、その通りに髪を切られていたのである。かの無名の偉丈夫は、いわゆる剣侠のたぐいであることを、役人は初めてさとった。

   鏡の恨み

 荊《けい》州の某家の忰は元来が放埒無頼《ほうらつぶらい》の人間であった。ある時、裏畑に土塀《どべい》を築こうとすると、その前の夜の夢に一人の美人が枕もとに現われた。
「わたくしは地下にあることすでに数百年に及びまして、神仙となるべき修煉《しゅうれん》がもう少しで成就するのでございます。ところが、明日おそろしい禍いが迫って参りまして、どうにも逃《の
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