は誰も知っていることですが、その忠臣となるがために、なんの罪もないわたしを殺して、その肉を士卒に食わせるような無残な事をなぜなされた。その恨みを報いるために、わたしは十三代もあなたを付け狙っていましたが、何分にもあなたは代々偉い人にばかり生まれ変っているので、遂にその機会を得ませんでした。しかも今のあなたはさのみ偉い人でもない、単に一個の白面《はくめん》(若く未熟なこと)書生に過ぎませんから、今こそ初めて多年の恨みを報いることが出来たのです」
 言い終って、女のすがたは消えてしまった。病人もそれから間もなく世を去った。

   火の神

 武進《ぶしん》の諸生で楊某《ようなにがし》という青年が、某家に止宿《ししゅく》していたことがある。その家は富んでいるので、主人は毎晩おそくまで飲みあるいていたが、ある夜その主人が例に依って夜ふけに酔って帰ると、楊の部屋には燈火《あかり》が煌々《こうこう》と輝いていた。
「まだ起きているのか」
 主人は窓の隙からそっと覗いてみると、几《つくえ》のそばには二本の大きい蝋燭を立てて、緋の着物の人が几に倚りかかって書物を読んでいた。
「楊さんもなかなか勉強だな」
 その晩はそのまま帰って、主人は翌日それを楊に話すと、かれは不思議そうな顔をしていた。
「いえ、ゆうべは早く寝てしまいました」
「いや、わたしが確かに見た。あなたは夜の更けるまで几《つくえ》にむかっていましたよ」と、主人は笑っていた。
 しかし楊は笑っていられなかった。
 これには何か子細があるに相違ないと思ったので、その晩は寝た振りをして窺っていると、夜も三更《さんこう》(午後十一時―午前一時)とおぼしき頃に、たちまち大きい声で呼ぶ者がある。それと同時に二本の大きい蝋燭《ろうそく》が地上にあらわれて、くれないの火焔《ほのお》が昼のようにあたりを照らすかと見るうちに、大勢の家来らしい者どもが緋の着物をきた人を警固して来た。人はここの家の主人がゆうべ見た通りに、几にむかって書物を読みはじめた。
 楊はおどろいて、大きい声で人を呼んだが、誰も来る者はなかった。緋衣の人も聞かないようなふうでしずかに書物を読みつづけていた。やがて五更《ごこう》(午前三時―五時)の頃になると、彼は又しずかに起《た》ちあがって楊の寝床へ近寄って来た。他の者どももみな従って来て、楊の寝床の四脚をもたげて部屋じゅうをぐるぐる引きまわした末に、空《くう》にむかって幾たびか投げあげた。楊はもう気絶してしまって、その後のことは知らなかったが、夜が明けて正気に復《かえ》った頃には、そこらに何者の姿もみえなかった。部屋の入口をあらためると、扉の鑰《かぎ》は元のままで、誰も出入りをしたらしい形跡もなかった。
「もしや夢か」
 自分が見ただけならば夢かとも思えるが、現に昨夜もここの主人が同じような不思議を見せられたのであるから、どうも夢とは思われない。こんなところに長居をするのは良くないと覚《さと》って、楊は翌日早々にここの家を立ち去った。
 それから四、五日の後、突然ここの家に火を発して、楊の部屋は丸焼けになった。

   文昌閣の鸛

 済南《さいなん》府の学堂、文昌閣《ぶんしょうかく》の家の棟に二羽の鸛《かん》(雁鴻《がんこう》の一種である)が巣を作っていた。ある日、それが西の郊外を高く飛んでいると、軍士の一人が矢を射かけて、その一羽の脛《はぎ》にあたった。しかも鳥は落ちないで飛び去った。
 その以来、かの鳥はその脛に矢を負ったままで、家の棟の巣を出入りしているのを、大勢の人が常に見ていた。軍士も一時のいたずらであるから、再びそれを射ようともしなかった。
 ある日、中丞《ちゅうじょう》が来て軍隊を検閲するというので、一軍の将士はみな軍門にあつまり、牆壁《しょうへき》をうしろにして整列していると、かの鳥がその空の上に舞って来て、脛に負っている矢を地に落した。それがあたかもかの軍士の前に落ちて来たので、何ごころなく拾い取って眺めていると、俄かに耳が激しく痒《かゆ》くなったので、彼はその矢鏃《やじり》で耳を掻いていると、突然にうしろの壁の一部が頽《くず》れて来て、その右の臂《ひじ》の上に落ちかかったので、矢鏃は耳の奥へ深く突き透った。
「これは鳥の恨みだ。わたしは助からない」と、軍士は言った。
 果たして数日の後に、彼は死んだ。

   剣侠

 某|中丞《ちゅうじょう》が上江の巡撫《じゅんぶ》であった時、部下の役人に命じて三千金を都へ送らせた。
 その途中、役人は古い廟に一宿すると、その夜のあいだにかの三千金を何者にか奪われた。しかも扉の鑰《かぎ》は元のままになっているので、すこぶる不思議に思ったが、ともかくも引っ返してその事を報告すると、中丞は大いに立腹して彼にその償《つぐな》いを
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