が》れることが出来なくなりました。それを救って下さるのは、あなたのほかにありません。明日わたくしの胸の上に古い鏡を見付けたらば、どうぞお取りなさらないように願います。そうして元のように土をかけて置いて下されば、きっとお礼をいたします」
 くれぐれも頼んで、彼女の姿は消えた。あくる日、人をあつめて工事に取りかかると、果たして土の下から一つの古い棺を掘り出して、その棺をひらいてみると、内には遠いむかしの粧《よそお》いをした美人の死骸が横たわっていて、その顔色は生けるがごとく、昨夜の夢にあらわれた者とちっとも変らなかった。更にあらためると、女の胸には直径五、六寸の鏡が載せてあって、その光りは人の毛髪を射るようにも見えた。忰は夢のことを思い出して、そのままに埋めて置こうとすると、家僕《しもべ》の一人がささやいた。
「その鏡は何か由緒のある品に相違ありません。いわゆる掘出し物だから取ってお置きなさい」
 好奇心と慾心とが手伝って、忰は遂にその鏡を取り上げると、女の死骸はたちまち灰となってしまった。これには彼もおどろいて、慌ててその棺に土をかけたが、鏡はやはり自分の物にしていると、女の姿が又もや彼の夢にあらわれた。
「あれほど頼んで置いたのに、折角の修煉も仇《あだ》になってしまいました。しかしそれも自然の命数で、あなたを恨んでも仕方がありません。ただその鏡は大切にしまって置いて下さい。かならずあなたの幸いになることがあります」
 彼はそれを信じて、その鏡を大切に保存していると、鏡はときどきに声を発することがあった。ある夜、かの女が又あらわれて彼に教えた。
「宰相の楊公が江陵に府を開いて、才能のある者を徴《め》したいといっています。今が出世の時節です。早くおいでなさい」
 その当時、楊公が荊州に軍をとどめているのは事実であるので、忰は夢の教えにしたがって軍門に馳せ参じた。楊公が面会して兵事を談じると、彼は議論縦横、ほとんど常人の及ぶところでないので、楊公は大いにこれを奇として、わが帷幕《いばく》のうちにとどめて置くことにした。忰は一人の家僕を連れていた。それは女の死骸から鏡を奪うことを勧めた男である。
 こうして、その出世は眼前にある時、彼は瑣細《ささい》のことから激しく立腹して、かの家僕を撲《ぶ》ち殺した。自宅ならば格別、それが幕営のうちであるので、彼もその始末に窮していると、女がどこからか現われた。
「御心配なさることはありません。あなたは休養のために二、三日の暇を貰うことにして、あなたの輿《こし》のなかへ家僕の死骸をのせて持ち出せば、誰も気がつく者はありますまい」
 言われた通りにして、彼は家僕の死骸をひそかに運び出すと、あたかも軍門を通過する時に、その輿のなかからおびただしい血がどっ[#「どっ」に傍点]と流れ出したので、番兵らに怪しまれた。彼はひき戻されて取調べを受けると、その言うことも四度路《しどろ》で何が何やらちっとも判らない。楊公も怪しんで、試みに兵事を談じてみると、ただ茫然として答うるところを知らないという始末である。いよいよ怪しんで厳重に詮議すると、彼も遂に鏡の一条を打ちあけた。そうして先日来の議論はみな彼女が傍から教えてくれたのであることを白状した。
 そこで、念のためにその鏡を取ろうとすると、鏡は大きいひびきを発してどこへか飛び去った。彼は獄につながれて死んだ。

   韓氏の女

 明《みん》の末のことである。
 広州《こうしゅう》に兵乱があった後、周生《しゅうせい》という男が町へ行って一つの袴《こ》(腰から下へ着ける衣《きぬ》である)を買って来た。その丹《あか》い色が美しいので衣桁《いこう》の上にかけて置くと、夜ふけて彼が眠ろうとするときに、ひとりの美しい女が幃《とばり》をかかげて内を窺っているらしいので、周はおどろいて咎《とが》めると、女は低い声で答えた。
「わたくしはこの世の人ではありません」
 周はいよいよ驚いて表へ逃げ出した。夜があけてから、近所の人びともその話を聞いて集まって来ると、女の声は袴のなかから洩れて出るのである。声は近いかと思えば遠く、遠いかと思えば近く、暫くして一個の美人のすがたが烟《けむ》りのようにあらわれた。
「わたくしは博羅《はくら》に住んでいた韓氏《かんし》の娘でございます。城が落ちたときに、賊のために囚《とら》われて辱《はず》かしめを受けようとしましたが、わたくしは死を決して争い、さんざんに賊を罵って殺されました。この袴は平生わたくしの身に着けていたものですから、たましいはこれに宿ってまいったのでございます。どうぞ不憫《ふびん》とおぼしめして、浄土へ往生の出来ますように仏事をお営みください」
 女は言いさして泣き入った。人びとは哀れにも思い、また不思議にも思って、早速に衆僧をまねいて
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